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リジュ
李儒
  
~インテリの悪党~

 後漢の官僚。董卓の手先となり、廃帝の劉弁(少帝)を殺害。董卓の死後は、李傕の手先。



・後漢の官僚。董卓の配下。
・少帝が廃され、弘農王となる。李儒は董卓により、弘農国の郎中令に任じられる。(「後漢書」、「後漢紀」の記事。)郎中令とは、宮中の諸官(近衛兵、人事官、側仕えなど)を司る官職。中央政府の光禄勲と同じ。

・董卓討伐軍が結成された際、董卓の命令で少帝に毒を盛る。少帝は事前に察したが、李儒は無理やり飲ませる。(「後漢書」、「後漢紀」の記事。)それを知った献帝(少帝の弟)は、玉座から崩れ落ち、哀しみに暮れたという。(「後漢紀」)
・「後漢紀」には、「博士李儒」と記される。博士李儒の名は、石碑「曹全碑」にも刻まれる。それによると、字は文優。県令曹全の治績を称えている。(なお、「博士」とは、政治の疑事に答える官職。弟子の教育も行う。)


・董卓の死後、李傕が朝廷を支配。李傕は、李儒を献帝の侍中(政治顧問)にしようとする。しかし、献帝は同意しない。逆に、詔を出して、少帝殺害の件を追及する。李傕は、「李儒は命令に従っただけです」と弁護。(「後漢紀」)
・陳寿の「三国志」には登場しない。




董卓 李傕 王允 蔡邕


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