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キョチョ チュウコウ
曹操の護衛。張繍討伐戦では、先鋒として活躍する。馬超討伐戦では、曹操の渡河を助け、守り切る。
・豫州(よしゅう)の沛国出身。曹操と同郷。出身県も同じ(いずれも譙(しょう)県)。
・威風のある風貌。並外れた体格、勇力を持つ。性格は慎み深く重厚。口数が少なかったという。
・一族数千家を率い、砦に篭って賊を防ぐ。(ある程度の豪族の出身。小説「三国志演義」のイメージと、少し異なる。)許褚が石を投げ付ける度、賊は砕かれ、誰も砦に近付かなくなる。食糧が不足してくると、偽りの和睦を結び、敵に牛を献上。砦に帰る途中、牛が戻ってくると、片手で尻尾を掴む。そのまま、百歩ほど引きずっていき、賊は驚いて退散。(以上、フィクションを超える怪力エピソード。)
・曹操に仕え、都尉となる。同時に、親衛隊長の役目を任される。
・先鋒として張繍を攻撃し、万余の敵を倒す。(許褚の兵数は不明だが、多くはなかったと思われる。)
・徐他という者が反乱を企てる。(時期不詳。)許褚は自ら、一味を討ち取る。
・曹操が西征し、馬超らを討伐する。曹操が黄河を渡る際、敵軍の射撃に遭い、危機に陥る。許褚は左に盾、右に艪(ろ)を持ち、対岸まで守り切る。
・和睦の会見が行われる。馬超は、曹操襲撃を考えたが、まず尋ねる。「虎痴(許褚)という者は、今どこにいる?」曹操が許褚を指差すと、許褚は馬超を睨み付け、襲撃を断念させる。(勿論、実際の実力差は不明。)
・両軍は再び対峙。曹操は攻勢をかけ、許褚は自ら敵将を討ち取る。(正史では、将が将を直接倒した例は少ない。)
・あるとき、曹仁が許褚と語ろうとしたが、許褚はこれを断る。(曹仁は曹操の親族。許褚と同じく、猛将として知られた。)その後、ある者に理由を聞かれ、こう答える。「私は主君の護衛を果たすのみ。あの方とは立場が違う。共に話せることはない。」(恐らく、心が乱れるのを避けた。)曹操はこれを知り、ますます信任する。
・陳寿は許褚、典韋をまとめて評する。「主君の左右で武勇を発揮した。樊噲(劉邦の護衛)に相当するであろう。」
典韋 馬超
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キョチョ チュウコウ
許褚 仲康
~愚直で生真面目な豪傑~
曹操の護衛。張繍討伐戦では、先鋒として活躍する。馬超討伐戦では、曹操の渡河を助け、守り切る。
・威風のある風貌。並外れた体格、勇力を持つ。性格は慎み深く重厚。口数が少なかったという。
・一族数千家を率い、砦に篭って賊を防ぐ。(ある程度の豪族の出身。小説「三国志演義」のイメージと、少し異なる。)許褚が石を投げ付ける度、賊は砕かれ、誰も砦に近付かなくなる。食糧が不足してくると、偽りの和睦を結び、敵に牛を献上。砦に帰る途中、牛が戻ってくると、片手で尻尾を掴む。そのまま、百歩ほど引きずっていき、賊は驚いて退散。(以上、フィクションを超える怪力エピソード。)
・曹操に仕え、都尉となる。同時に、親衛隊長の役目を任される。
・先鋒として張繍を攻撃し、万余の敵を倒す。(許褚の兵数は不明だが、多くはなかったと思われる。)
・徐他という者が反乱を企てる。(時期不詳。)許褚は自ら、一味を討ち取る。
・曹操が西征し、馬超らを討伐する。曹操が黄河を渡る際、敵軍の射撃に遭い、危機に陥る。許褚は左に盾、右に艪(ろ)を持ち、対岸まで守り切る。
・和睦の会見が行われる。馬超は、曹操襲撃を考えたが、まず尋ねる。「虎痴(許褚)という者は、今どこにいる?」曹操が許褚を指差すと、許褚は馬超を睨み付け、襲撃を断念させる。(勿論、実際の実力差は不明。)
・両軍は再び対峙。曹操は攻勢をかけ、許褚は自ら敵将を討ち取る。(正史では、将が将を直接倒した例は少ない。)
・あるとき、曹仁が許褚と語ろうとしたが、許褚はこれを断る。(曹仁は曹操の親族。許褚と同じく、猛将として知られた。)その後、ある者に理由を聞かれ、こう答える。「私は主君の護衛を果たすのみ。あの方とは立場が違う。共に話せることはない。」(恐らく、心が乱れるのを避けた。)曹操はこれを知り、ますます信任する。
・陳寿は許褚、典韋をまとめて評する。「主君の左右で武勇を発揮した。樊噲(劉邦の護衛)に相当するであろう。」