トップページ>三国志のゲームまとめ>
最近のものは、史実も結構取り入れているが、初期作(1~3辺り)は、ほぼ演義のみに拠っている。
もっと正確にいえば、演義を原作とする「吉川三国志」をメインとしている。「吉川三国志」とは、吉川英治の小説「三国志」。
以上を踏まえた上で、三國志1の能力データを回想。違和感のある数値を挙げていく。右の括弧の中は、最低限こう修正すべきというもの。
カクト
知力43 武力90(知力を30プラス、武力を30マイナス)
袁紹の参謀、知将。
本作では、顔良以上の武力を誇る。(顔良は89。)理由は分からない。
吉川三国志では、自ら劉備の追撃を願い出るシーンがあり、ここだけ見ると武将っぽい。(劉備が袁紹の元を去ったときの話。)しかし、武力90の理由は、(吉川・演義・正史の)どこを探しても見当たらない。
三國志2では、知力80、武力32。ガラリと変わっている。
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シンパイ
袁紹の参謀、知将。吉川三国志でも、才腕が強調される。
しかし、本作では凡将の数値。
単に、制作スタッフの知識不足だろう。
三國志2では、知力80、武力72。
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エンジュツ
名門貴族。狡知に長けた群雄。
本作で武力が高い理由は、多分、性格のイメージに由来する。吉川三国志では、気概のある性格に描かれ、三国志演義でも向こう気が強い。しかし、武力タイプという訳ではなく、組織のボスとして実力を発揮。(これらは、史実でも同様。)
三國志2では、知力69、武力80。まだ武力が高め。
三國志3では、知力67、武力79。ようやく武力が80を切った。
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リュウビ
蜀帝国の初代皇帝。中小豪族から成り上がった人物。
本作では、知力が高すぎる。多分、性格のイメージに由来する。吉川三国志では、理知的な性格に描かれている。
曹操の知力は93なので、それを上回っている。これは流石におかしい。
三國志2では、知力85、武力70。
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チョウウン
劉備の武将。吉川三国志や三国志演義で、ずば抜けた武勇が描かれる。(史実でも、基本的な人物像は同じ。)
本作では、知力が高すぎる。制作サイドに、趙雲の大ファンがいたためらしい。
三國志2では、知力85、武力99。まだ知力が高い。
三國志7で、ようやく70台に落ちる。(以後、ずっと70台。)
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ソウヒ
曹操の子。魏の初代皇帝。
吉川三国志や三国志演義では、文武に長けた才子として描かれる。戦歴は多くない。(これらは、史実でも同様。武芸者だったが、主に政治家として活躍した。)
本作では、知力は少し過小。武力は流石に高すぎる。
三國志2では、知力76、武力70。
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ソウジン
曹操の一族の武将。初期から付き従った。
本作では、武力があまり高くない。吉川三国志、三国志演義では、派手な活躍は江陵戦のみ。ここを読み逃すと、こういう数値になる。(因みに、史実では、魏の代表的な勇将。)
三國志2では、知力64、武力84。
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ソウコウ
曹操の一族の武将。初期から付き従った。
三国志演義では、派手な活躍が多い。しかし、吉川三国志では、それらは控えめに描かれる。本作で低評価なのは、このためと思われるが、それにしても過小。(因みに、史実では優秀な司令官。)
三國志2では、知力50、武力72。
ページトップ
リテン
曹操の武将。吉川三国志や三国志演義では、勇将の一人として描かれ、冷静な発言も多い。(史実でも良将。)
三國志2では、知力40、武力56。まだ低評価。
三國志3では、知力47、武力72。
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ガクシン
曹操の武将。吉川三国志や三国志演義では、李典と並ぶ勇将。(史実では魏屈指。)
三國志2では、知力38、武力44。何故か、更に低評価。
三国志3では、知力39、武力74。
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ソンケン
江東を治め、呉の初代皇帝となった人物。
本作では、知力、武力がいずれもトップクラス。(本作は、君主全般が過大。)
吉川三国志や三国志演義を見ると、しばしば活躍ぶりが描かれているが、それほど際立った描写はない。(史実でも同様。優秀な指導者だったが、個人的能力は、必ずしも飛び抜けていた訳ではない。)
三國志2では、知力89、武力87。
ページトップ
テイフ
呉の臣。三国志演義では、派手な活躍が多いが、吉川三国志では補佐役という面が強調される。その結果、こういう数値になったのだろう。(因みに、史実では歴戦の武将。)
三國志2では、知力84、武力60。まだ武力が低い。三國志3~4でも、武力は60台。
三國志5で知力80、武力80という数値になった。
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リョモウ
呉の臣。知将としての活躍が目立つが、元々は武辺者だった。これらは、吉川や演義でも同様。
三國志2では、知力86、武力83。
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テイホウ
呉の武将。吉川三国志や三国志演義では、知将っぽく描かれているが、武勇の描写も多い。(史実では、呉屈指の勇将。)
三國志2では、知力73、武力44。
三國志3では、知力65、武力75。
ページトップ
コウユウ
後漢の地方長官。後に曹操に仕えた。
吉川三国志や三国志演義では、漢の良臣として描かれる。常識を備えた教養人。(史実では、一癖ある性格だった。教養は時代屈指。)
本作では、何故か武力が80オーバー。
三國志2では、知力82、武力35。
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シンピ
袁譚の参謀。後に魏に仕えた。
高い見識を持ち、主君をしっかり補佐した人物。吉川や演義でも同様。
本作では、適当な数値になっている。
三國志2では、知力78、武力48。
ページトップ
ヨウショウ
吉川三国志や三国志演義で、張魯の参謀として登場する。(史実には登場しない。)
私欲のために張魯を裏切り、曹操の進軍を手引きする。
三國志2には登場しない。三國志3では、知力57、武力45。
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ホウトク
西方の武将。馬騰、馬超の元で活躍し、後に曹操に仕えた。
吉川三国志や三国志演義では、関羽との一騎打ちが描かれる。(史実でも、時代屈指の勇将。)
本作では、何故か知将の数値。
三國志2では、知力64、武力94。
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リュウホウ
劉備の養子。武芸達者で知られた。
三国志演義でも、そこそこ活躍シーンがある。吉川三国志では、あまり良く描かれず、実力不足が強調される。
本作では、劉備と同じく、知力が武力より高い。劉備の劣化版、という感じの数値。多分、適当に付けられた。
三國志2では、知力58、武力61。
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チョウサイ
董卓軍の中核の一人。後に、李傕・郭汜と共に長安を制した。
本作では、何故か参謀タイプの数値。吉川三国志や三国志演義では、李傕らより冷静な性格に描かれるが、基本的に武将。(史実でも同様。)
三國志2では、知力67、武力30。
三國志3では、知力59、武力74。
ページトップ
トウケン
劉璋の将。吉川三国志や三国志演義では、罠にかかった魏延(劉備配下の勇将)を追い詰める。
三國志2では、知力67、武力68。
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バショク
諸葛亮の補佐役として活躍。北伐時は司令官となったが、魏軍に敗れた。
本作では、知力が過小。吉川三国志、三国志演義では、自信過剰な性格が強調されるが、基本的に名参謀。(史実でも同様。)
三國志2では、知力80、武力75。
ページトップ
リゲン
劉璋に仕えてのち、劉備に帰服。
吉川三国志や三国志演義では、登場は少ないが、黄忠(劉備配下の勇将)と渡り合うシーンがある。後には、孔明から、陸遜(呉の知将)に比肩すると評される。(因みに、史実では、官僚として評判あり。軍事にも長け、反乱鎮圧で活躍している。)
本作では、知力も武力も低評価。
三國志2では、知力65、武力76。
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リュウキ
劉表の子。後に劉備に助力。
本作では、知力が名参謀レベル。吉川三国志や三国志演義では、理知的な性格に描かれているが、目立った活躍がある訳ではない。(史実でも同様。)
三國志2では、知力84、武力30。
三國志3では、知力63、武力30。
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モウカク
南方の異民族の指導者。蜀に反乱し、後に帰服した。
本作では、知力が極端に低く、武力が極端に高い。多分、「蛮族の長だから」という偏見。
吉川三国志や三国志演義を見ると、ある程度知力を感じさせる。一方、武力での活躍は、特に際立っていない。(これらは、史実でも同様。)
三國志2では、知力20、武力89。まだ極端。
三國志7では、知力34、武力72。個性が薄まった。
三國志9では、知力40、武力82。妥当なところに落ち着いた。
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リカク
董卓の腹心。後に、郭汜と共に朝廷を制したが、やがて郭汜と抗争。
吉川三国志や三国志演義では、粗暴な言動が多く描かれ、郭汜とも自ら渡り合う。(史実でも人物像はほぼ同じ。)
本作では、武力が低め。
三國志2では、知力41、武力50。
三國志3では、知力42、武力63。
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ジョエイ
董卓軍の有力な武将。吉川三国志や三国志演義では、伏兵として曹操を破る。(史実では、正面から曹操を破っている。)
三國志2では、知力35、武力41。
三國志3では、知力38、武力54。
三國志9で、ようやく武力が70を超える。(知力66、武力71、統率76。)
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キレイ
袁術軍の有力な武将。吉川三国志、三国志演義では、かなり出番が多い。(史実では、名前のみ登場。諸将を統率。)
三国志演義では、関羽との一騎打ちが描かれるが、吉川三国志では省かれている。本作で武力が高くないのは、それが原因と思われる。
三國志2では、知力31、武力62。
三國志3では武力70。(知力は35。)三國志4では武力80。(知力は34。)
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コウラン
袁紹軍の有力な武将。後に曹操に降る。
三国志演義では、許褚としばらく渡り合うシーンが描かれる。吉川三国志でも、許褚に向かっていくシーンが描かれるが、直後に軍同士の戦闘になる。(因みに、史実では、名前のみ登場。重要な局面で起用されている。)
三國志2では、知力30、武力74。
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ソウヒョウ
陶謙軍の代表的な武将。後に劉備に仕えた。
吉川三国志、三国志演義では、張飛を裏切る際の描写が小人物っぽい。恐らく、それが低評価の要因。(人気の理由でもある。)
三國志2では、知力13、武力19。顔グラも独特。
三國志3では、知力24、武力52。
三国志6では、武力が70に達した。(知力16、武力70、統率34。)
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その他
<過小>
鮑信 16 38
李豊 28 33
梁剛 17 38
陳紀 26 39
呂公 16 38
鮑隆 27 45
韓当 47 54
凌統 55 68
廖化 50 51
<過大>
袁尚 63 87
麋芳 39 85
馬騰 48 97
張苞 30 97
呉蘭 44 81
雷同 41 90
侯成 46 81
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三國志1~3 三國志4~6 三國志7~9 三國志10~13 ナムコ三国志 天地を喰らう その他
小説 漫画 解説書 映像作品 掘出し物
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初代三國志の謎
コーエーの三國志シリーズは、小説「三国志演義」を元にしたゲーム。最近のものは、史実も結構取り入れているが、初期作(1~3辺り)は、ほぼ演義のみに拠っている。
もっと正確にいえば、演義を原作とする「吉川三国志」をメインとしている。「吉川三国志」とは、吉川英治の小説「三国志」。
以上を踏まえた上で、三國志1の能力データを回想。違和感のある数値を挙げていく。右の括弧の中は、最低限こう修正すべきというもの。
郭図
知力43 武力90(知力を30プラス、武力を30マイナス)
袁紹の参謀、知将。
本作では、顔良以上の武力を誇る。(顔良は89。)理由は分からない。
吉川三国志では、自ら劉備の追撃を願い出るシーンがあり、ここだけ見ると武将っぽい。(劉備が袁紹の元を去ったときの話。)しかし、武力90の理由は、(吉川・演義・正史の)どこを探しても見当たらない。
三國志2では、知力80、武力32。ガラリと変わっている。
ページトップ
審配
知力32 武力66(知力を40プラス)袁紹の参謀、知将。吉川三国志でも、才腕が強調される。
しかし、本作では凡将の数値。
単に、制作スタッフの知識不足だろう。
三國志2では、知力80、武力72。
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袁術
知力60 武力95(武力を20マイナス)名門貴族。狡知に長けた群雄。
本作で武力が高い理由は、多分、性格のイメージに由来する。吉川三国志では、気概のある性格に描かれ、三国志演義でも向こう気が強い。しかし、武力タイプという訳ではなく、組織のボスとして実力を発揮。(これらは、史実でも同様。)
三國志2では、知力69、武力80。まだ武力が高め。
三國志3では、知力67、武力79。ようやく武力が80を切った。
ページトップ
劉備
知力95 武力63(知力を10マイナス)蜀帝国の初代皇帝。中小豪族から成り上がった人物。
本作では、知力が高すぎる。多分、性格のイメージに由来する。吉川三国志では、理知的な性格に描かれている。
曹操の知力は93なので、それを上回っている。これは流石におかしい。
三國志2では、知力85、武力70。
ページトップ
趙雲
知力90 武力99(知力を10マイナス)劉備の武将。吉川三国志や三国志演義で、ずば抜けた武勇が描かれる。(史実でも、基本的な人物像は同じ。)
本作では、知力が高すぎる。制作サイドに、趙雲の大ファンがいたためらしい。
三國志2では、知力85、武力99。まだ知力が高い。
三國志7で、ようやく70台に落ちる。(以後、ずっと70台。)
ページトップ
曹丕
知力74 武力92(武力を10マイナス)曹操の子。魏の初代皇帝。
吉川三国志や三国志演義では、文武に長けた才子として描かれる。戦歴は多くない。(これらは、史実でも同様。武芸者だったが、主に政治家として活躍した。)
本作では、知力は少し過小。武力は流石に高すぎる。
三國志2では、知力76、武力70。
ページトップ
曹仁
知力64 武力56(武力を30プラス)曹操の一族の武将。初期から付き従った。
本作では、武力があまり高くない。吉川三国志、三国志演義では、派手な活躍は江陵戦のみ。ここを読み逃すと、こういう数値になる。(因みに、史実では、魏の代表的な勇将。)
三國志2では、知力64、武力84。
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曹洪
知力29 武力48(武力を30プラス)曹操の一族の武将。初期から付き従った。
三国志演義では、派手な活躍が多い。しかし、吉川三国志では、それらは控えめに描かれる。本作で低評価なのは、このためと思われるが、それにしても過小。(因みに、史実では優秀な司令官。)
三國志2では、知力50、武力72。
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李典
知力38 武力49(知力、武力をそれぞれ20プラス)曹操の武将。吉川三国志や三国志演義では、勇将の一人として描かれ、冷静な発言も多い。(史実でも良将。)
三國志2では、知力40、武力56。まだ低評価。
三國志3では、知力47、武力72。
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楽進
知力33 武力53(武力を20プラス)曹操の武将。吉川三国志や三国志演義では、李典と並ぶ勇将。(史実では魏屈指。)
三國志2では、知力38、武力44。何故か、更に低評価。
三国志3では、知力39、武力74。
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孫権
知力94 武力93(知力、武力をそれぞれ10マイナス)江東を治め、呉の初代皇帝となった人物。
本作では、知力、武力がいずれもトップクラス。(本作は、君主全般が過大。)
吉川三国志や三国志演義を見ると、しばしば活躍ぶりが描かれているが、それほど際立った描写はない。(史実でも同様。優秀な指導者だったが、個人的能力は、必ずしも飛び抜けていた訳ではない。)
三國志2では、知力89、武力87。
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程普
知力84 武力41(武力を30プラス)呉の臣。三国志演義では、派手な活躍が多いが、吉川三国志では補佐役という面が強調される。その結果、こういう数値になったのだろう。(因みに、史実では歴戦の武将。)
三國志2では、知力84、武力60。まだ武力が低い。三國志3~4でも、武力は60台。
三國志5で知力80、武力80という数値になった。
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呂蒙
知力90 武力47(武力を30プラス)呉の臣。知将としての活躍が目立つが、元々は武辺者だった。これらは、吉川や演義でも同様。
三國志2では、知力86、武力83。
ページトップ
丁奉
知力81 武力22(武力を50プラス)呉の武将。吉川三国志や三国志演義では、知将っぽく描かれているが、武勇の描写も多い。(史実では、呉屈指の勇将。)
三國志2では、知力73、武力44。
三國志3では、知力65、武力75。
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孔融
知力61 武力82(知力と武力を入れ替える)後漢の地方長官。後に曹操に仕えた。
吉川三国志や三国志演義では、漢の良臣として描かれる。常識を備えた教養人。(史実では、一癖ある性格だった。教養は時代屈指。)
本作では、何故か武力が80オーバー。
三國志2では、知力82、武力35。
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辛毗
知力39 武力74(知力と武力を入れ替える)袁譚の参謀。後に魏に仕えた。
高い見識を持ち、主君をしっかり補佐した人物。吉川や演義でも同様。
本作では、適当な数値になっている。
三國志2では、知力78、武力48。
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楊松
知力33 武力53(知力と武力を入れ替える)吉川三国志や三国志演義で、張魯の参謀として登場する。(史実には登場しない。)
私欲のために張魯を裏切り、曹操の進軍を手引きする。
三國志2には登場しない。三國志3では、知力57、武力45。
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龐徳
知力87 武力44(知力と武力を入れ替える)西方の武将。馬騰、馬超の元で活躍し、後に曹操に仕えた。
吉川三国志や三国志演義では、関羽との一騎打ちが描かれる。(史実でも、時代屈指の勇将。)
本作では、何故か知将の数値。
三國志2では、知力64、武力94。
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劉封
知力71 武力43(知力と武力を入れ替える)劉備の養子。武芸達者で知られた。
三国志演義でも、そこそこ活躍シーンがある。吉川三国志では、あまり良く描かれず、実力不足が強調される。
本作では、劉備と同じく、知力が武力より高い。劉備の劣化版、という感じの数値。多分、適当に付けられた。
三國志2では、知力58、武力61。
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張済
知力70 武力29(武力を20プラス)董卓軍の中核の一人。後に、李傕・郭汜と共に長安を制した。
本作では、何故か参謀タイプの数値。吉川三国志や三国志演義では、李傕らより冷静な性格に描かれるが、基本的に武将。(史実でも同様。)
三國志2では、知力67、武力30。
三國志3では、知力59、武力74。
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鄧賢
知力59 武力33(知力と武力を入れ替える)劉璋の将。吉川三国志や三国志演義では、罠にかかった魏延(劉備配下の勇将)を追い詰める。
三國志2では、知力67、武力68。
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馬謖
知力61 武力55(知力を20プラス)諸葛亮の補佐役として活躍。北伐時は司令官となったが、魏軍に敗れた。
本作では、知力が過小。吉川三国志、三国志演義では、自信過剰な性格が強調されるが、基本的に名参謀。(史実でも同様。)
三國志2では、知力80、武力75。
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李厳
知力38 武力40(知力、武力をそれぞれ30プラス)劉璋に仕えてのち、劉備に帰服。
吉川三国志や三国志演義では、登場は少ないが、黄忠(劉備配下の勇将)と渡り合うシーンがある。後には、孔明から、陸遜(呉の知将)に比肩すると評される。(因みに、史実では、官僚として評判あり。軍事にも長け、反乱鎮圧で活躍している。)
本作では、知力も武力も低評価。
三國志2では、知力65、武力76。
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劉琦
知力92 武力30(知力を20マイナス)劉表の子。後に劉備に助力。
本作では、知力が名参謀レベル。吉川三国志や三国志演義では、理知的な性格に描かれているが、目立った活躍がある訳ではない。(史実でも同様。)
三國志2では、知力84、武力30。
三國志3では、知力63、武力30。
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孟獲
知力16 武力93(知力を30プラス、武力を10マイナス。)南方の異民族の指導者。蜀に反乱し、後に帰服した。
本作では、知力が極端に低く、武力が極端に高い。多分、「蛮族の長だから」という偏見。
吉川三国志や三国志演義を見ると、ある程度知力を感じさせる。一方、武力での活躍は、特に際立っていない。(これらは、史実でも同様。)
三國志2では、知力20、武力89。まだ極端。
三國志7では、知力34、武力72。個性が薄まった。
三國志9では、知力40、武力82。妥当なところに落ち着いた。
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李傕
知力43 武力46(武力を10プラス)董卓の腹心。後に、郭汜と共に朝廷を制したが、やがて郭汜と抗争。
吉川三国志や三国志演義では、粗暴な言動が多く描かれ、郭汜とも自ら渡り合う。(史実でも人物像はほぼ同じ。)
本作では、武力が低め。
三國志2では、知力41、武力50。
三國志3では、知力42、武力63。
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徐栄
知力34 武力39(武力を20プラス)董卓軍の有力な武将。吉川三国志や三国志演義では、伏兵として曹操を破る。(史実では、正面から曹操を破っている。)
三國志2では、知力35、武力41。
三國志3では、知力38、武力54。
三國志9で、ようやく武力が70を超える。(知力66、武力71、統率76。)
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紀霊
知力24 武力57(武力を20プラス)
袁術軍の有力な武将。吉川三国志、三国志演義では、かなり出番が多い。(史実では、名前のみ登場。諸将を統率。)
三国志演義では、関羽との一騎打ちが描かれるが、吉川三国志では省かれている。本作で武力が高くないのは、それが原因と思われる。
三國志2では、知力31、武力62。
三國志3では武力70。(知力は35。)三國志4では武力80。(知力は34。)
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高覧
知力31 武力49(武力を30プラス)袁紹軍の有力な武将。後に曹操に降る。
三国志演義では、許褚としばらく渡り合うシーンが描かれる。吉川三国志でも、許褚に向かっていくシーンが描かれるが、直後に軍同士の戦闘になる。(因みに、史実では、名前のみ登場。重要な局面で起用されている。)
三國志2では、知力30、武力74。
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曹豹
知力27 武力18(武力を30プラス)陶謙軍の代表的な武将。後に劉備に仕えた。
吉川三国志、三国志演義では、張飛を裏切る際の描写が小人物っぽい。恐らく、それが低評価の要因。(人気の理由でもある。)
三國志2では、知力13、武力19。顔グラも独特。
三國志3では、知力24、武力52。
三国志6では、武力が70に達した。(知力16、武力70、統率34。)
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<過小>
鮑信 16 38
李豊 28 33
梁剛 17 38
陳紀 26 39
呂公 16 38
鮑隆 27 45
韓当 47 54
凌統 55 68
廖化 50 51
<過大>
袁尚 63 87
麋芳 39 85
馬騰 48 97
張苞 30 97
呉蘭 44 81
雷同 41 90
侯成 46 81
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