トップページ>三国志総合事典(正史)>人物事典-魏晋>
カクワイ ハクセイ
魏の官僚、軍人。漢中の防衛に貢献する。後に雍州刺史となり、対蜀、対異民族で度々活躍。諸葛亮の作戦を二度見抜く。
・曹丕に召し出される。(曹丕は当時、五官中郎将。宮廷の一角を守備。)曹丕の属官となり、軍事に参与。
・曹操の漢中平定に随行する。(漢中は張魯の領地。)
・夏侯淵が漢中に駐屯。郭淮は、夏侯淵の軍の司馬となる。(司馬とは、軍のまとめ役。)
・劉備が漢中に進軍し、夏侯淵は戦死する。郭淮は張郃(ちょうこう)を後任に立て、軍の混乱を鎮める。
・劉備が渡河する構えを見せる。諸将は「河に沿って陣を築き、守りに徹するべき」と主張。郭淮はこれに反対し、誘引策を進言する。「岸から離れた場所に陣を置き、敵を誘い込むべき。敵が河の半分まで渡ったら、これを襲撃すればよい。」この作戦は採用される。劉備は警戒して渡河を断念。
・張郃と楊秋の軍を監督し、反乱した異民族を全て破る。
・曹丕が帝位に就き、祝賀会が行われる。郭淮は、祝賀を述べる使者となる。病のため到着が遅れ、曹丕は咎めて言う。「禹の時代、招集に遅れた諸侯は処刑された。君は今、ぐずぐずして到着が遅れたわけだが。」郭淮は言う。「五帝(賢明で知られた五人の帝)は徳義を重視しました。今は堯、舜(五帝の中の二人)の時代です。私は罪を免れると分かっていました。」曹丕はこれを聞き、大いに郭淮を気に入る。
・羌族と会見する際、いつも、彼等の親族について事前に調べる。会見が始まると、相手の心情を慮った上で話す。人々から、明察ぶりを称えられる。
・蜀の諸葛亮が北伐を開始。郭淮は蜀将高翔を破り、砦を陥落させる。(第一次北伐。)その後、周辺の羌族を撃破し、将軍位を与えらえる。
・諸葛亮が部将陳式を遣わし、二つの郡を攻略させる。郭淮は救援を試みたが、諸葛亮の本軍が進軍。郭淮は不利と見て、撤退を決める。(第三次北伐。)少しのち、魏延(蜀の勇将)が西方に侵入。郭淮は迎撃したが敗れる。
・諸葛亮が祁山(きざん)に向かう。郭淮はこれを迎撃したが、食い止めることはできず、司馬懿が諸葛亮を防ぐ。(第四次北伐。)
・蜀軍を防ぐため隴右(ろうう)に駐屯し、羌族に兵糧の輸送を担当させる。(隴右とは、隴西郡、金城郡の一帯。)威光、恩愛をもって彼等を監督し、公平に労役を割り当てる。かくて、兵糧は充足する。
・諸葛亮が最後の北伐を行う。郭淮は、司馬懿に従い、北伐と対する。魏軍は、渭水(いすい)の南に駐屯。郭淮は、「諸葛亮は北原(渭水北岸の一帯)を狙う」と見抜き、渡河して防備を固める。諸葛亮は北進するも、勝てずに退く。
・その後、諸葛亮は軍を西方に向ける。郭淮はこれを陽動行動と見抜き、陽遂(北原の東)に赴き防備を固める。諸葛亮は諦めて退却。
・羌族の迷当を討伐する。(当時の羌族は、魏派、蜀派両方存在した。)
・氐(てい)族を慰撫する。彼等に命じ、関中(長安以西の一帯)の地域に移住させる。(遊牧民族なので、土地へのしがらみは少ない。)
・涼州の異民族が帰順してくる。郭淮は、彼等を高平県(雍州安定郡)に移住させる。更に、西州都督を設置し、これを監督させる。
・曹爽、夏侯玄が漢中に進軍し、郭淮も随行する。(漢中は蜀の領地。守将は王平。)あるとき魏軍は形勢不利となったが、郭淮は機を見て退却を指示し、軍は大敗を免れる。
・その後、郭淮は、「姜維は夏侯覇の砦に向かう」と予測。救援に向かう。案の定、姜維は夏侯覇を攻撃。郭淮は到着すると、夏侯覇と共に守り切る。
・羌族の二将を討伐し、これを討ち取る。
・羌族の一部が河関、白土に駐屯する。(前者は隴西郡の県で、黄河の南に位置。後者は金城郡西部で、黄河の北の一帯。)郭淮は陽動行動を行い、秘かに黄河下流から(北に)渡河。白土を制圧し、敵は潰走する。
・治無戴の本拠地は、西海郡。(西海郡は、元は「張掖居延属国」という名称。北西の辺境。)郭淮は、西海郡に進軍する。その途中、帰環中の治無戴と遭遇し、これを破る。
・一方、令居県(金城郡)で異民族が蜂起。石頭山の西に駐屯する。郭淮はこれを討伐し、陥落させる。
・その後、廖化が姜維の指令を受け、成重山に駐屯。郭淮は言う。「廖化を急襲すれば勝てる。姜維は必ず救援に来るが、その前に廖化を破れば、姜維は無駄に疲れることになる。」その後、自ら諸軍を率い、廖化攻撃に向かう。一方で、夏侯覇を姜維に向かわせ、圧力をかける。(姜維を確実に動かすため。)姜維は拠点を去り、廖化の救援に赴く。全て、郭淮の作戦通りとなり、蜀軍は全て撤退。
・蜀将句安(こうあん)らが、姜維の指令を受け、麹山に砦を築く。郭淮は、陳泰と共に作戦を立てる。麹山を孤立させ、句安らは降伏する。
・詔勅が下され、諸々の功績を称えられる。やがて死去し、大将軍を追贈される。
・陳寿は郭淮を評して言う。「方略に精通し、秦州(しんしゅう)、雍州(ようしゅう)で名声を博した。」
陳泰 張既 姜維
トップページ>三国志総合事典(正史)>人物事典-魏晋>
カクワイ ハクセイ
郭淮 伯済
~堅実、周到な知将~
魏の官僚、軍人。漢中の防衛に貢献する。後に雍州刺史となり、対蜀、対異民族で度々活躍。諸葛亮の作戦を二度見抜く。
初期
・并州(へいしゅう)の太原郡出身。孝廉に推挙される。(孝廉とは、官僚の候補枠。)平原郡の丞(次官)に就任。平原郡は青州。
・曹丕に召し出される。(曹丕は当時、五官中郎将。宮廷の一角を守備。)曹丕の属官となり、軍事に参与。
・曹操の漢中平定に随行する。(漢中は張魯の領地。)
・夏侯淵が漢中に駐屯。郭淮は、夏侯淵の軍の司馬となる。(司馬とは、軍のまとめ役。)
・劉備が漢中に進軍し、夏侯淵は戦死する。郭淮は張郃(ちょうこう)を後任に立て、軍の混乱を鎮める。
・劉備が渡河する構えを見せる。諸将は「河に沿って陣を築き、守りに徹するべき」と主張。郭淮はこれに反対し、誘引策を進言する。「岸から離れた場所に陣を置き、敵を誘い込むべき。敵が河の半分まで渡ったら、これを襲撃すればよい。」この作戦は採用される。劉備は警戒して渡河を断念。
・張郃と楊秋の軍を監督し、反乱した異民族を全て破る。
・曹丕が帝位に就き、祝賀会が行われる。郭淮は、祝賀を述べる使者となる。病のため到着が遅れ、曹丕は咎めて言う。「禹の時代、招集に遅れた諸侯は処刑された。君は今、ぐずぐずして到着が遅れたわけだが。」郭淮は言う。「五帝(賢明で知られた五人の帝)は徳義を重視しました。今は堯、舜(五帝の中の二人)の時代です。私は罪を免れると分かっていました。」曹丕はこれを聞き、大いに郭淮を気に入る。
雍州赴任・対諸葛亮
・雍州刺史に任じられる。あるとき、安定郡の羌(きょう)族が反乱し、郭淮はこれを討伐する。やがて平定に成功。
・羌族と会見する際、いつも、彼等の親族について事前に調べる。会見が始まると、相手の心情を慮った上で話す。人々から、明察ぶりを称えられる。
・蜀の諸葛亮が北伐を開始。郭淮は蜀将高翔を破り、砦を陥落させる。(第一次北伐。)その後、周辺の羌族を撃破し、将軍位を与えらえる。
・諸葛亮が部将陳式を遣わし、二つの郡を攻略させる。郭淮は救援を試みたが、諸葛亮の本軍が進軍。郭淮は不利と見て、撤退を決める。(第三次北伐。)少しのち、魏延(蜀の勇将)が西方に侵入。郭淮は迎撃したが敗れる。
・諸葛亮が祁山(きざん)に向かう。郭淮はこれを迎撃したが、食い止めることはできず、司馬懿が諸葛亮を防ぐ。(第四次北伐。)
・蜀軍を防ぐため隴右(ろうう)に駐屯し、羌族に兵糧の輸送を担当させる。(隴右とは、隴西郡、金城郡の一帯。)威光、恩愛をもって彼等を監督し、公平に労役を割り当てる。かくて、兵糧は充足する。
・諸葛亮が最後の北伐を行う。郭淮は、司馬懿に従い、北伐と対する。魏軍は、渭水(いすい)の南に駐屯。郭淮は、「諸葛亮は北原(渭水北岸の一帯)を狙う」と見抜き、渡河して防備を固める。諸葛亮は北進するも、勝てずに退く。
・その後、諸葛亮は軍を西方に向ける。郭淮はこれを陽動行動と見抜き、陽遂(北原の東)に赴き防備を固める。諸葛亮は諦めて退却。
西方鎮撫・漢中戦
・姜維(蜀の将)が隴西郡に侵入。郭淮は、手際よく防備態勢を整える。姜維は撤退。
・羌族の迷当を討伐する。(当時の羌族は、魏派、蜀派両方存在した。)
・氐(てい)族を慰撫する。彼等に命じ、関中(長安以西の一帯)の地域に移住させる。(遊牧民族なので、土地へのしがらみは少ない。)
・涼州の異民族が帰順してくる。郭淮は、彼等を高平県(雍州安定郡)に移住させる。更に、西州都督を設置し、これを監督させる。
・曹爽、夏侯玄が漢中に進軍し、郭淮も随行する。(漢中は蜀の領地。守将は王平。)あるとき魏軍は形勢不利となったが、郭淮は機を見て退却を指示し、軍は大敗を免れる。
対姜維
・姜維が羌族と結託し、隴西郡を攻略する。西の異民族の治無戴(ちむたい)も参加。郭淮は、夏侯覇と共に、姜維らに備える。両者、別の場所に砦を構築。・その後、郭淮は、「姜維は夏侯覇の砦に向かう」と予測。救援に向かう。案の定、姜維は夏侯覇を攻撃。郭淮は到着すると、夏侯覇と共に守り切る。
・羌族の二将を討伐し、これを討ち取る。
・羌族の一部が河関、白土に駐屯する。(前者は隴西郡の県で、黄河の南に位置。後者は金城郡西部で、黄河の北の一帯。)郭淮は陽動行動を行い、秘かに黄河下流から(北に)渡河。白土を制圧し、敵は潰走する。
・治無戴の本拠地は、西海郡。(西海郡は、元は「張掖居延属国」という名称。北西の辺境。)郭淮は、西海郡に進軍する。その途中、帰環中の治無戴と遭遇し、これを破る。
・一方、令居県(金城郡)で異民族が蜂起。石頭山の西に駐屯する。郭淮はこれを討伐し、陥落させる。
・その後、廖化が姜維の指令を受け、成重山に駐屯。郭淮は言う。「廖化を急襲すれば勝てる。姜維は必ず救援に来るが、その前に廖化を破れば、姜維は無駄に疲れることになる。」その後、自ら諸軍を率い、廖化攻撃に向かう。一方で、夏侯覇を姜維に向かわせ、圧力をかける。(姜維を確実に動かすため。)姜維は拠点を去り、廖化の救援に赴く。全て、郭淮の作戦通りとなり、蜀軍は全て撤退。
都督就任
・都督雍涼諸軍事となる。(雍州、涼州の軍事をまとめる。)・蜀将句安(こうあん)らが、姜維の指令を受け、麹山に砦を築く。郭淮は、陳泰と共に作戦を立てる。麹山を孤立させ、句安らは降伏する。
・詔勅が下され、諸々の功績を称えられる。やがて死去し、大将軍を追贈される。
・陳寿は郭淮を評して言う。「方略に精通し、秦州(しんしゅう)、雍州(ようしゅう)で名声を博した。」