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リュウフク ゲンエイ
劉馥 元穎
  
~地方統治のエキスパート~

 魏の官僚。曹操により、揚州刺史に任じられる。合肥(がっぴ)を一から建て直し、豊かな地に作り変える。



・豫州(よしゅう)の沛国出身。動乱を避け、揚州に移る。
・袁術の二将(戚寄、秦翊)を説き伏せ、軍ごと曹操に帰順させる。この功により、司徒府の属官に任じられる。


・廬江郡(揚州)で李術が反乱し、梅乾、雷緒、陳蘭が便乗。このとき、劉馥は、揚州刺史に任じられる。単身馬に乗り、合肥の城に赴き、そこに州の役所を設置。雷緒らを手なずけ、献上品が次々贈られる。(戚寄らのとき同様、武力を用いずに味方に付けた。劉虞(りゅうぐ)を思わせる人徳。)

・当時、合肥は荒廃状態。劉馥は、改革に取り掛かる。屯田、福祉、教化に力を入れ、数年の内に治績が上がる。次第に流民も集まり、その数は五桁に上る。
・劉馥は、更に改革を推進。学校を建て、教育に力を入れる。また、屯田を拡大し、大々的に荒地を開墾する。更に、堤防を修理、または新たに構築し、灌漑を行う。官民は皆、貯蓄を得たという。(地方長官として、時代屈指の治績。これも劉虞を思わせる。)

・軍備も抜かりなく整備。城壁、土塁を高くし、更に、木や石を沢山積み上げる。また、草の筵(むしろ)を大量に作り、魚の油を貯蔵する。これらをもって、防備を万全にする。


・劉馥の死後、孫権が十万の軍を率い、合肥に進軍する。(時期は、赤壁戦のすぐあと。)やがて大雨が降り、城壁が崩れそうになる。城内の人々は、劉馥が用意していた筵(むしろ)を敷き詰め、雨を防いで城壁を守る。また、劉馥が貯蔵していた魚の油を燃やし、城外を照らし出し、敵軍を監視する。孫権はほどなく撤退。人々は改めて、劉馥を追慕したという。

陳寿は劉馥、司馬朗、梁習、張既、温恢(おんかい)、賈逵(かき)をまとめて評する。「かつての刺史は、ただ監査するだけだったが、現在その職責は重い。(劉馥らは)皆仕事の機微に通達し、威厳と恩恵が共に現れ、広い地をよく引き締めた。」




司馬朗 杜畿


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