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テンイ
典韋
  
~忠義の豪傑~

 曹操の護衛。曹操の宿衛を忠実に果たし、先鋒としても活躍する。張繍反乱の際、奮戦して討死。



・兗州(えんしゅう)の陳留郡出身。字(あざな)は不明。
・威風のある風貌。大食漢にして大酒飲み。怪力を有しており、八十斤の双戟を使う。固い節義と男気を持つ。(まるで「水滸伝」の登場人物。)
・豪族劉氏の仇討ちをし、有名になる。(典韋は恐らく、劉氏の侠客だった。)後に張邈の兵士となる。重い軍旗があり、他の兵は誰も持ち上げられず。しかし典韋は、片手で楽々立てかける。


・曹操の配下に入る。(時期不詳。)夏侯惇の部隊に所属し、度々敵将を討ち取る。呂布との戦役では、突撃部隊に志願する。自ら敵陣に突入し、戟を投げ付け、敵兵を次々倒す。
・都尉となり、親衛隊数百人を率い、本営を警護する。また、戦闘の度に先陣となり、敵陣を攻め落とす。やがて、校尉に昇進する。
・曹操に忠義を尽くし、昼はずっと側に侍立する。夜になると、曹操の宿営所の側で寝る。(劉備における関羽、張飛を思わせる。)本来の寝場所には、滅多に帰らず。

・曹操が、張繍のために宴会を催す。典韋は曹操の側に従い、大きな斧を手に、張繍の部将達を睨んで回る。見返す勇気のある者はおらず。
・張繍が反逆し、典韋は陣門の前で戦う。敵兵は退き、別の門から入る。典韋は再び奮戦し、戟を一振りする度、敵の戟が何本も折れる。敵兵を左右に掴み、ぶつけて倒す。敵は一斉に後ろに下がる。典韋は突進し数人を倒す。そこで傷口が開き、大声で叫び倒れる。張繍の兵達はその首を取り、皆で回して見物したという。
・陳寿は許褚、典韋をまとめて評する。「主君の左右で武勇を発揮した。樊噲(劉邦の護衛)に相当するであろう。」




許褚


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