トップページ>三国志総合事典(正史)>人物事典-魏晋>
ガクシン ブンケン
魏の将。曹操に仕え、何度も戦勝を挙げる。しばしば先陣を務め、時に独立して軍を率いる。烏巣では随一の活躍。
・曹操の配下に入り、軍の事務官として随行。後に出身地に赴き、兵千人余りを集めてくる。仮司馬、陥陣都尉に任じられる。(司馬とは、軍のまとめ役。)
・呂布、張超、橋蕤(きょうずい)を討伐し、度々先んじて敵陣を落とす。続いて、張繍の別働隊、呂布の別働隊を破る。更に、曹仁らと共に眭固(すいこ)を討伐し、これを破る。(「三国志演義」より、活躍はずっと多い。)
・官渡の戦いに参加する。烏巣(袁紹軍の補給地)の襲撃に参加し、奮戦して淳于瓊(じゅんうけい)を破る。(これにより、袁紹は官渡から敗走。)
・黎陽の袁譚・袁尚討伐に参加し、戦功を挙げる。
・別働隊となり、黄巾を破り、楽安郡(青州)を平定する。また、張遼と協力し、陰安県(冀州魏郡)を陥落させる。その後、曹操と合流し、鄴(ぎょう)の審配を討伐する。更に、袁譚討伐(南皮県)に参加し、先んじて敵陣を落とす。再び別働隊となり、雍奴県(幽州漁陽郡)を陥落させる。(この頃の楽進は、張遼に似た活躍ぶり。)
・并(へい)州の高幹(袁紹の甥)を討伐し、戦功を挙げる。続いて、青州の海賊管承(袁譚の傘下)を討伐し、これを破る。
・関羽、蘇非を撃破し、周辺の異民族を帰順させる。また、劉備配下の二県を落とす。(時期不詳。)
・張遼、李典と共に合肥(がっぴ)を守る。やがて、孫権の大軍が到来。張遼ら3人は互いに不仲だったが、李典が「私情を棄てるべき」と発言し、楽進はこれに従う。その後、張遼らは出撃し、楽進は城の守備を受け持つ。
・陳寿は五将(張遼、楽進、于禁、張郃、徐晃)をまとめて評する。「曹操の武勲を助けた将の中でも、この5人が最も優秀だった。」
・更に、楽進を評して言う。「驍果(驍勇と果敢)をもって名を上げた。」また、こう記す。「評判(驍果)を裏付ける逸話は、あまり残っていない。恐らく記録に遺漏があるのだろう。」
張遼 于禁 張郃 徐晃
トップページ>三国志総合事典(正史)>人物事典-魏晋>
ガクシン ブンケン
楽進 文謙
~勇猛で戦上手な武将~
魏の将。曹操に仕え、何度も戦勝を挙げる。しばしば先陣を務め、時に独立して軍を率いる。烏巣では随一の活躍。
初期
・兗州(えんしゅう)の陽平郡出身。小柄だが、気が強かったという。・曹操の配下に入り、軍の事務官として随行。後に出身地に赴き、兵千人余りを集めてくる。仮司馬、陥陣都尉に任じられる。(司馬とは、軍のまとめ役。)
・呂布、張超、橋蕤(きょうずい)を討伐し、度々先んじて敵陣を落とす。続いて、張繍の別働隊、呂布の別働隊を破る。更に、曹仁らと共に眭固(すいこ)を討伐し、これを破る。(「三国志演義」より、活躍はずっと多い。)
対袁氏
・曹操は袁紹と敵対する。于禁が先陣となり、楽進はこれに随行。于禁共々、袁紹の陣営を破る。・官渡の戦いに参加する。烏巣(袁紹軍の補給地)の襲撃に参加し、奮戦して淳于瓊(じゅんうけい)を破る。(これにより、袁紹は官渡から敗走。)
・黎陽の袁譚・袁尚討伐に参加し、戦功を挙げる。
・別働隊となり、黄巾を破り、楽安郡(青州)を平定する。また、張遼と協力し、陰安県(冀州魏郡)を陥落させる。その後、曹操と合流し、鄴(ぎょう)の審配を討伐する。更に、袁譚討伐(南皮県)に参加し、先んじて敵陣を落とす。再び別働隊となり、雍奴県(幽州漁陽郡)を陥落させる。(この頃の楽進は、張遼に似た活躍ぶり。)
・并(へい)州の高幹(袁紹の甥)を討伐し、戦功を挙げる。続いて、青州の海賊管承(袁譚の傘下)を討伐し、これを破る。
襄陽・合肥
・曹操が荊州を平定する。楽進は、襄陽県に駐屯する。(荊州の要地。)・関羽、蘇非を撃破し、周辺の異民族を帰順させる。また、劉備配下の二県を落とす。(時期不詳。)
・張遼、李典と共に合肥(がっぴ)を守る。やがて、孫権の大軍が到来。張遼ら3人は互いに不仲だったが、李典が「私情を棄てるべき」と発言し、楽進はこれに従う。その後、張遼らは出撃し、楽進は城の守備を受け持つ。
・陳寿は五将(張遼、楽進、于禁、張郃、徐晃)をまとめて評する。「曹操の武勲を助けた将の中でも、この5人が最も優秀だった。」
・更に、楽進を評して言う。「驍果(驍勇と果敢)をもって名を上げた。」また、こう記す。「評判(驍果)を裏付ける逸話は、あまり残っていない。恐らく記録に遺漏があるのだろう。」