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シショウ イゲン
辺境の地域の領主。学問の才を有し、商才にも長ける。交州を長年よく治め、多くの亡命者・移民を受け入れる。後に孫権に帰順し、良好な関係を維持。
・都で劉陶という人物に師事し、「春秋左氏伝」を学ぶ。
・孝廉に推挙される。(孝廉とは、官僚の候補枠。)その後、尚書郎に任じられる。(尚書郎は尚書台(秘書機関)の補佐官。郎は若手のための官職。)やがて仕事上のトラブルにより、罷免される。
・茂才に推挙される。(茂才とは、官僚の候補枠。)巫県(荊州南郡)の令となる。
・交阯郡(交州)の太守となる。(交州は、南の辺境の地。)
・交州で異民族の反乱が発生。刺史の朱符が殺害され、州は混乱に陥る。(なお、朱符は朱儁(しゅしゅん)の子。)士燮は上奏し、弟三人を交州各郡の太守に推薦。いずれも、受容される。一方、張津という人物が、朱符の後任として赴任。(州の実質的統治者は士燮。)
・南海貿易に力を入れる。(海向こうの諸国との交易。)大いに富貴を得たという。
・交州に袁徽(えんき)という人物がおり、荀彧(じゅんいく)に手紙を送る。その中で、士燮の学識(取り分け「春秋左氏伝」に関するもの)を称賛。更に、「長年領内に変事はなく、民は各々の生活を守り、故郷を失った人々も、皆恩恵を受けている」と述べている。(恐らく、福祉や相互扶助を推進。)
・交州刺史の張津が、劉表(荊州の領主)と仲違いし、交戦を繰り返す。(士燮が州内を治めていた頃、刺史は対外戦争に躍起になっていた。)やがて、部下に殺害される。その後、劉表が、配下の頼恭を交州刺史に任命。更に、呉巨を蒼梧郡(交州)の太守とする。朝廷(曹操の支配下)はそれらを認めず、士燮を綏南(すいなん)中郎将に任じ、交州七郡の監督に当たらせる。
・朝廷への貢納を怠らず、忠誠を示す。安遠将軍を加官される。
・益州の豪族である雍闓(ようがい)に働きかけ、孫権に味方させる。孫権から衛将軍(高位の将軍職)に任じられる。
・しばしば、南方の珍しい品々を孫権に送り、孫権から厚遇される。
・郡(交阯郡)で権勢を保持し、40年余り経つ。90歳で死去。
・子の士徽は呉に反乱。呂岱によって鎮圧され、士氏の勢力は滅亡する。
・陳寿は士燮を評して言う。「南越の地の太守となり、心のままに生涯を過ごした。」
劉繇 太史慈 劉表 孫権
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シショウ イゲン
士燮 威彦
~南方の徳高き王様~
辺境の地域の領主。学問の才を有し、商才にも長ける。交州を長年よく治め、多くの亡命者・移民を受け入れる。後に孫権に帰順し、良好な関係を維持。
交州に赴任
・交州の蒼梧郡出身。先祖は魯国(豫州)人。
・都で劉陶という人物に師事し、「春秋左氏伝」を学ぶ。
・孝廉に推挙される。(孝廉とは、官僚の候補枠。)その後、尚書郎に任じられる。(尚書郎は尚書台(秘書機関)の補佐官。郎は若手のための官職。)やがて仕事上のトラブルにより、罷免される。
・茂才に推挙される。(茂才とは、官僚の候補枠。)巫県(荊州南郡)の令となる。
・交阯郡(交州)の太守となる。(交州は、南の辺境の地。)
・交州で異民族の反乱が発生。刺史の朱符が殺害され、州は混乱に陥る。(なお、朱符は朱儁(しゅしゅん)の子。)士燮は上奏し、弟三人を交州各郡の太守に推薦。いずれも、受容される。一方、張津という人物が、朱符の後任として赴任。(州の実質的統治者は士燮。)
手腕
・性格は温厚。謙虚にして驕らない。結果、中原の人士が数百人、交州に移住してくる。・南海貿易に力を入れる。(海向こうの諸国との交易。)大いに富貴を得たという。
・交州に袁徽(えんき)という人物がおり、荀彧(じゅんいく)に手紙を送る。その中で、士燮の学識(取り分け「春秋左氏伝」に関するもの)を称賛。更に、「長年領内に変事はなく、民は各々の生活を守り、故郷を失った人々も、皆恩恵を受けている」と述べている。(恐らく、福祉や相互扶助を推進。)
・交州刺史の張津が、劉表(荊州の領主)と仲違いし、交戦を繰り返す。(士燮が州内を治めていた頃、刺史は対外戦争に躍起になっていた。)やがて、部下に殺害される。その後、劉表が、配下の頼恭を交州刺史に任命。更に、呉巨を蒼梧郡(交州)の太守とする。朝廷(曹操の支配下)はそれらを認めず、士燮を綏南(すいなん)中郎将に任じ、交州七郡の監督に当たらせる。
・朝廷への貢納を怠らず、忠誠を示す。安遠将軍を加官される。
孫権に帰服
・孫権が、歩隲(ほしつ)を交州刺史に任命。士燮は、孫権の傘下に入る。・益州の豪族である雍闓(ようがい)に働きかけ、孫権に味方させる。孫権から衛将軍(高位の将軍職)に任じられる。
・しばしば、南方の珍しい品々を孫権に送り、孫権から厚遇される。
・郡(交阯郡)で権勢を保持し、40年余り経つ。90歳で死去。
・子の士徽は呉に反乱。呂岱によって鎮圧され、士氏の勢力は滅亡する。
・陳寿は士燮を評して言う。「南越の地の太守となり、心のままに生涯を過ごした。」