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西暦、元号、月、出来事。
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年表(184年~209年)
西暦、元号、月、出来事。
184年(光和七年・中平元年)
二月 | 張角が太平道(道教団体)を率い、「黄巾の乱」を起こす。張角の弟張宝、その弟張梁も加わる。 | 四月 | 何進が大将軍となる。 | 五月 | 皇甫嵩・朱儁・曹操が潁川の黄巾を破る。 | 十月 | 皇甫嵩が張梁を敗死させる。(このとき、張角は既に病死。) | 十一月 | 皇甫嵩が張宝を敗死させる。 |
189年(中平六年・光喜元年・永漢元年)
四月 | 霊帝が死去し、少帝が跡を継ぐ。 | 八月 | 何進が宦官たちに殺害され、袁紹が宦官を討ち滅ぼす。その後、董卓が洛陽に入城し、朝廷を制圧する。 | 九月 | 董卓が少帝を廃し、献帝を立てる。 | 十一月 | 董卓が相国(しょうこく)となる。 | 十二月 | 曹操が董卓に反発し、陳留で挙兵する。 |
190年(初平元年)
四月 | 袁紹が董卓討伐軍を起こす。曹操、袁術らがこれに参加。 | 王匡(河内太守)が董卓に敗れる。 | 二月 | 董卓が長安遷都を強行する。自身は洛陽に留まる。 | 劉表が荊州刺史となり、襄陽に州庁を置く。後に荊州牧に昇格。 | 三月 | 曹操が滎陽(けいよう)で徐栄に敗れる。 | 夏頃 | 董卓が五銖銭を潰し、小銭を鋳造する。物価が高騰し、経済が破綻する。 |
191年(初平二年)
春頃 | 孫堅が陽人城に入り、胡軫(こしん)・呂布を破る。 | 孫堅が洛陽で董卓・呂布を破る。董卓らは洛陽を去る。 | 四月 | 董卓が長安に到着する。 | 七月 | 袁紹が韓馥に代わり、冀州牧となる。 | 孫堅が劉表を征伐し、追撃中に討死する。 |
192年(初平三年)
春頃 | 董卓が郿塢(びう)城を築く。 | 一月 | 袁紹が界橋で公孫瓚を破る。 | 牛輔が中牟(ちゅうぼう)で朱儁を破る。 | 四月 | 王允・呂布が董卓を殺害する。 | 陳宮が曹操を兗(えん)州牧とする。(三年後、正式に任命される。) | 曹操が青州黄巾を討伐し、併呑する。 | 六月 | 李傕・郭汜(董卓の旧臣)が長安を制圧する。 |
193年(初平四年)
一月 | 袁術が封丘で曹操に敗れ、揚州に入る。 | 三月 | 袁術が陳瑀を追放し、寿春を占拠する。 | 五月 | 朱儁が太尉・録尚書事となる。 | 六月 | 陶謙(徐州牧)の部下が、曹操の父曹嵩を殺害する。 | 秋 | 曹操が徐州に出征し、殺戮を行う。 |
194年(興平元年)
三月 | 李傕が郭汜・樊稠を指揮し、馬騰・韓遂を破る。馬騰らは西方に帰る。 | 五月 | 李傕・郭汜・樊稠が各々開府。以後、長安は乱れる。 | 夏頃 | 曹操が再び、徐州で殺戮を行う。陳宮・張邈(ちょうばく)が曹操に背く。 | 九月 | 曹操が兗州で呂布と対する。曹操は劣勢になる。 | 十月 | 劉虞(幽州牧)と公孫瓚が争い、劉虞が殺害される。これにより、公孫瓚は広く恨みを買う。 | 十二月 | 曹操と呂布が双方引き上げる。 | 陶謙が死去し、劉備が徐州牧となる。 | 劉焉が死去し、劉璋が益州牧となる。 | この頃 | 孫策が劉繇(りゅうよう)征伐に出発。 |
195年(興平二年)
一月 | 曹操が呂布を討伐し、兗州から撃退する。 | 二月 | 李傕が樊稠を殺害する。 | この頃 | 李傕と郭汜が争いを始める。 | 三月 | 李傕が献帝を拘束する。郭汜が朝臣達を拘束し、朱儁が憤死する。 | 七月 | 李傕が争いを中断し、出奔する。 | この頃 | 孫策が劉繇を退け、江東で独立する。 | 十二月 | 献帝が曹陽(弘農郡)に滞在する。 | 李傕・郭汜・張済が官軍を襲撃し、帝の一行は安邑(河東郡)に逃れる。 | この頃 | 袁術が徐州に進軍し、劉備を征伐する。 |
196年(建安元年)
一月 | 呂布が袁術と結託し、劉備の本拠地の下邳(かひ)を奪う。劉備はその後袁術に敗れ、呂布に帰服する。 | この頃 | 董承、張楊、楊奉、韓暹(かんせん)が帝を奉じ、互いにいがみ合う。 | 七月 | 献帝が洛陽帰還を果たす。 | 八月 | 曹操が帝を奉じ、許県に遷都する。 | 孫策が王朗(会稽太守)を破り、代わって太守を名乗る。 | 十月 | 曹操が司空(民政大臣)となる。 | 荀彧が侍中・尚書令となり、以後朝政を統括。 | 曹操が屯田を実施する。(ここでの屯田は民屯。募集民が荒地を耕作する。) |
197年(建安二年)
春頃 | 袁術が寿春にあって、帝位を僭称する。 | 袁術が呂布を征伐したが、敗戦となる。 | 一月 | 曹操が張繍に奇襲され、曹昂(長子)を失う。 | 九月 | 袁術が陳国を占拠する。曹操がこれを破る。 | この年 | 郭汜が部下(伍習)に殺害される。 |
198年(建安三年)
四月 | 裴茂(官軍の将)が李傕を敗死させる。 | 九月 | 高順(呂布の将)が劉備を破り、小沛を落とす。 | 十二月 | 曹操が下邳で呂布を滅ぼす。 |
199年(建安四年)
三月 | 袁紹が易京で公孫瓚を滅ぼす。 | 六月 | 袁術が江亭で病死する。 | 劉備が徐州を襲い、刺史の車冑(曹操の配下)を殺害する。 | 八月 | 于禁(曹操の将)が延津に進出し、袁紹に備える。 | 十二月 | 張繍が曹操に帰服する。 | 孫策が黄祖(江夏太守)を討伐し、その先鋒の劉虎・韓晞を破る。 |
200年(建安五年)
春頃 | 劉備が曹操に敗れ、冀州の袁紹を頼る。関羽が曹操の客将となる。 | 一月 | 董承が曹操謀殺を企て、殺害される。 | 二月 | 袁紹が黎陽(黄河北岸)に駐屯する。顔良を起用し、白馬城を攻撃させる。 | 四月 | 関羽が自ら顔良を討ち取る。その後、関羽は曹操の元を去る。 | 袁紹が渡河する。文醜(袁紹の将)が奇襲によって討死する。 | 孫策が暗殺され、弟の孫権が跡を継ぐ。 | 七月 | 劉備が汝南郡に行き、劉辟と結託する。諸県を併呑したが、曹仁(曹操の将)に敗れる。 | 八月 | 袁紹が官渡に進出し、曹操と対峙する。 | 十月 | 曹操が袁紹を破り、袁紹は黎陽に戻る。 |
201年(建安六年)
四月 | 曹操が倉亭(黄河南岸)の袁紹軍を破る。 | この頃 | 劉備が汝南郡に行き、共都と結託する。蔡陽(曹操の将)を破ったが、曹操本軍を避け、劉表(荊州の群雄)の元へ去る。 |
202年(建安七年)
五月 | 袁紹が死去し、袁尚(三子)が跡を継ぐ。 | 九月 | 曹操が黎陽に進軍し、袁譚(長子)・袁尚と対する。 |
203年(建安八年)
三月 | 曹操が黎陽で袁譚・袁尚を破る。その後、鄴(ぎょう)まで追撃する。 | 五月 | 曹操が鄴から退く。以後、袁譚と袁尚は争う。 | 八月 | 曹操が劉表征伐を開始し、西平に進軍する。 | この頃 | 劉備が博望で夏侯惇と対する。撤退時、伏兵を置き、追撃軍を撃破する。 | 十月 | 袁譚が曹操に帰順し、袁尚に対抗する。 | この年 | 孫権が黄祖の水軍を破る。その後、甘寧が孫権の追撃を防ぐ。 |
204年(建安九年)
夏頃 | 袁尚が兄袁煕を頼り、幽州に亡命する。 | 八月 | 曹操が審配を破り、鄴を制圧する。 | 九月 | 曹操が冀州牧となる(鄴が州都)。曹操は法を強化し、豪族の振舞いを抑制する。 |
205年(建安十年)
一月 | 曹操が南皮で袁譚を討ち取る。 | 袁煕の将焦触・張南が反乱し、袁尚・袁煕は烏丸族を頼る。 | 四月 | 黒山の張燕が曹操に帰服。 |
206年(建安十一年)
三月 | 曹操が高幹を破り、并(へい)州を平定する。 | 八月 | 楽進(曹操の将)が海賊管承を破る。 |
207年(建安十二年)
八月 | 曹操が烏丸族を攻撃し、族長の蹋頓(とうとん)を討ち取る。 | 九月 | 公孫康(遼東太守)が袁尚・袁熙を殺害。 | この年 | 劉備が諸葛亮を配下に迎える。 | 孫権が江夏郡に侵入し、住民を奪略。 |
208年(建安十三年)
春頃 | 孫権が黄祖を討伐し、これを討ち取る。 | 六月 | 曹操が三公を廃止し、自ら丞相となる。 | 七月 | 曹操が劉表征伐に向かう。 | 八月 | 劉表が死去し、跡を継いだ劉琮は降伏。 | 劉備が長阪で曹操に敗れる。その後、孫権の元に行く。 | 十月 | 孫権が周瑜を司令官とし、劉備の協力も得て、赤壁で曹操を撃退する。 | この頃 | 劉備が荊州四郡を平定する。 |
209年(建安十四年)
七月 | 周瑜が江陵(南郡の首都)の曹仁を退け、南郡太守となる。 | 十月 | 孫権が妹を劉備に嫁がせる。 | この頃 | 劉備が荊州牧となる。 |