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チョウギョク ハクキ
蜀の官僚、軍人。策略と武力に長け、異民族の反乱を鎮める。後に越巂(えつすい)郡の太守となり、領内を鎮撫し、異民族から信望を得る。最後は姜維の北伐に参加し、奮戦して討死する。
・山賊が県城に侵入し、県長は脱出。張嶷は白刃の中を進み、県長の夫人を山賊から救出。これにより評判を上げ、州の従事(補佐官)となる。(劉備が州の牧(長官)。)
・山賊達が軍糧を略奪し、官民を拉致する。張嶷は都尉(軍官)となり、討伐を命じられる。張嶷は、「彼等はすぐ四方に散るので、捕らえるのは難しい」と考える。そこで、偽りの和睦を持ちかけ、首謀者達を酒宴に誘う。その席上で、自ら側近を率い、50人余りを討ち取る。残りの者が逃走すると、彼等を追撃し、十日の間に平定する。
・馬忠に従い、汶(びん)山郡の羌(きょう)族を討伐する。(汶山郡は、益州の北西に位置。)彼等の中の有力な部族が、険阻な場所に砦を築き、蜀軍の行く手を阻む。(この郡の羌族は、主に山地を根城としていた。)張嶷は利害を説き、彼等を降伏させ、残りの部族は皆四散する。張嶷は兵を差し向け、彼等を破る。
・南方において、劉冑(ある部族の長)が反乱する。張嶷は馬忠に従い、劉冑を討伐する。自ら陣頭に立って指揮し、敵軍を破り、劉冑を討ち取る。後に、別の異民族を討伐し、二千人を降伏させる。
・前任者達は異民族を避け、任地(邛都(きょうと)県)まで行かず、離れた場所に滞在。張嶷は馬忠共々、真っ直ぐ任地に行き、支配を確立する。(馬忠はその後、自分の任地に帰還。)その後、恩恵と信義を十分に示し、多くの異民族が恭順する。
・北の境の勇猛な部族が従わず、張嶷は討伐に向かう。指導者の魏狼を捕らえ、改めて帰順を説く。こうして、郡内はほぼ平定される。
・ある部族が再び反乱する。張嶷は対処に当たり、族長の冬逢を誅殺する。(詳細不明。)
・隗渠(冬逢の弟)が復讐を考え、側近を二人送り込む。張嶷はそれを見抜き、逆に二人を手なずけ、隗渠を殺害させる。(異民族(遊牧民族)は現実主義。頼りになりそうな方に付く。)
・冬逢の義理の甥達から狙われるも、恩恵をもって彼等を手なずける。
・ある異民族が、三つの県で塩、鉄を独占する。張嶷は、三県の回復に当たる。まず、軍を引き連れ、族長の元に乗り込む。族長は張嶷を無視。張嶷は猛者達を送り込み、族長を捕らえる。鞭で打たせ、これを殺害。その配下の者達に道理を説き、恩賞を与え、同時に威圧する。彼等は皆、恭順したという。
・当時、郡から成都への近道があったが、ある異民族がこれを封鎖。張嶷は懐柔を考える。蜀の貨幣を贈り、王朝に服する利を説き、道は通じる。
・当時費禕(ひい)が大将軍の地位にあったが、仁愛を信条とし、降伏者をすぐに信用する。張嶷は、費禕に書簡を送って忠告する。「貴方の位は尊く、権限は重いのです。刺客に狙われる可能性があります。もう少し、警戒なさってください。」しかし、費禕は警戒を強めず、魏の降伏者郭修に殺害される。
・呉(同盟国)の諸葛恪が、魏への侵攻を始める。一方、蜀には諸葛瞻(しょかつせん)という重臣がおり、諸葛恪の従弟(諸葛亮の子)に当たる。張嶷は、諸葛瞻に書簡を送り、懸念を述べる。「諸葛恪は幼い主君を補佐する役目を任され、強い権限を持っています。いつ陰謀に巻き込まれても、おかしくない立場です。しかし、彼はそれを自覚していません。貴方が諫めずして、誰が諫めるのですか。彼は直ちに軍を引き、農事を重んじて恩徳を施し、人心獲得に努めるべきです。」張嶷が懸念した通り、諸葛恪は後に謀殺される。(なお、魏の鄧艾も、同様に諸葛恪の誤りを指摘。)
・あるとき、夏侯覇(魏からの亡命者)が張嶷に言う。「貴方とは互いに遠い地にいましたが、旧知の人に対するように心を寄せていました。どうか、この気持ちを知ってください。」張嶷は言う。「私はまだ、貴方を十分理解していませんし、貴方も私を十分理解していません。友誼を結ぶまでには、長い道があります。三年経ってから、同じ言葉を言ってください。」見識者たちは、この話を聞いて感嘆。
・足の持病が悪化し、満足に歩けなくなる。しかし、劉禅に目通りし、姜維の北伐への随行を願い出る。劉禅はその意気に感じ、涙を流して従軍を許可する。
・姜維に従い、魏将徐質と交戦。多数の敵を倒すも、討死する。異民族達は嘆き悲しみ、廟を立てて祀ったという。
・陳寿は張嶷を評して言う。「見識、決断力があり、果敢であった。」
張翼 馬忠 李恢
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チョウギョク ハクキ
張嶷 伯岐
~対異民族のエキスパート~
蜀の官僚、軍人。策略と武力に長け、異民族の反乱を鎮める。後に越巂(えつすい)郡の太守となり、領内を鎮撫し、異民族から信望を得る。最後は姜維の北伐に参加し、奮戦して討死する。
活躍を重ねる
・益州の巴西郡出身。家柄に恵まれなかったが、年少の頃より気概あり。やがて、県の功曹(人事官)となる。・山賊が県城に侵入し、県長は脱出。張嶷は白刃の中を進み、県長の夫人を山賊から救出。これにより評判を上げ、州の従事(補佐官)となる。(劉備が州の牧(長官)。)
・山賊達が軍糧を略奪し、官民を拉致する。張嶷は都尉(軍官)となり、討伐を命じられる。張嶷は、「彼等はすぐ四方に散るので、捕らえるのは難しい」と考える。そこで、偽りの和睦を持ちかけ、首謀者達を酒宴に誘う。その席上で、自ら側近を率い、50人余りを討ち取る。残りの者が逃走すると、彼等を追撃し、十日の間に平定する。
・馬忠に従い、汶(びん)山郡の羌(きょう)族を討伐する。(汶山郡は、益州の北西に位置。)彼等の中の有力な部族が、険阻な場所に砦を築き、蜀軍の行く手を阻む。(この郡の羌族は、主に山地を根城としていた。)張嶷は利害を説き、彼等を降伏させ、残りの部族は皆四散する。張嶷は兵を差し向け、彼等を破る。
・南方において、劉冑(ある部族の長)が反乱する。張嶷は馬忠に従い、劉冑を討伐する。自ら陣頭に立って指揮し、敵軍を破り、劉冑を討ち取る。後に、別の異民族を討伐し、二千人を降伏させる。
南方を鎮撫
・越巂(えつすい)太守に任じられる。(越巂は益州南西の郡。)
・前任者達は異民族を避け、任地(邛都(きょうと)県)まで行かず、離れた場所に滞在。張嶷は馬忠共々、真っ直ぐ任地に行き、支配を確立する。(馬忠はその後、自分の任地に帰還。)その後、恩恵と信義を十分に示し、多くの異民族が恭順する。
・北の境の勇猛な部族が従わず、張嶷は討伐に向かう。指導者の魏狼を捕らえ、改めて帰順を説く。こうして、郡内はほぼ平定される。
・ある部族が再び反乱する。張嶷は対処に当たり、族長の冬逢を誅殺する。(詳細不明。)
・隗渠(冬逢の弟)が復讐を考え、側近を二人送り込む。張嶷はそれを見抜き、逆に二人を手なずけ、隗渠を殺害させる。(異民族(遊牧民族)は現実主義。頼りになりそうな方に付く。)
・冬逢の義理の甥達から狙われるも、恩恵をもって彼等を手なずける。
・ある異民族が、三つの県で塩、鉄を独占する。張嶷は、三県の回復に当たる。まず、軍を引き連れ、族長の元に乗り込む。族長は張嶷を無視。張嶷は猛者達を送り込み、族長を捕らえる。鞭で打たせ、これを殺害。その配下の者達に道理を説き、恩賞を与え、同時に威圧する。彼等は皆、恭順したという。
・当時、郡から成都への近道があったが、ある異民族がこれを封鎖。張嶷は懐柔を考える。蜀の貨幣を贈り、王朝に服する利を説き、道は通じる。
逸話
・投降者が現れる度、真実か偽りか見抜いたという。(張嶷は叩き上げの人物。基本的に、人心の機微に聡い。)
・当時費禕(ひい)が大将軍の地位にあったが、仁愛を信条とし、降伏者をすぐに信用する。張嶷は、費禕に書簡を送って忠告する。「貴方の位は尊く、権限は重いのです。刺客に狙われる可能性があります。もう少し、警戒なさってください。」しかし、費禕は警戒を強めず、魏の降伏者郭修に殺害される。
・呉(同盟国)の諸葛恪が、魏への侵攻を始める。一方、蜀には諸葛瞻(しょかつせん)という重臣がおり、諸葛恪の従弟(諸葛亮の子)に当たる。張嶷は、諸葛瞻に書簡を送り、懸念を述べる。「諸葛恪は幼い主君を補佐する役目を任され、強い権限を持っています。いつ陰謀に巻き込まれても、おかしくない立場です。しかし、彼はそれを自覚していません。貴方が諫めずして、誰が諫めるのですか。彼は直ちに軍を引き、農事を重んじて恩徳を施し、人心獲得に努めるべきです。」張嶷が懸念した通り、諸葛恪は後に謀殺される。(なお、魏の鄧艾も、同様に諸葛恪の誤りを指摘。)
・あるとき、夏侯覇(魏からの亡命者)が張嶷に言う。「貴方とは互いに遠い地にいましたが、旧知の人に対するように心を寄せていました。どうか、この気持ちを知ってください。」張嶷は言う。「私はまだ、貴方を十分理解していませんし、貴方も私を十分理解していません。友誼を結ぶまでには、長い道があります。三年経ってから、同じ言葉を言ってください。」見識者たちは、この話を聞いて感嘆。
後年
・北方への帰還を願い、召し出される。郡内の異民族は、皆涙を流し、別れを惜しむ。頭目100余人が無理に同行し、蜀に朝貢する。(なお、異民族を治めた人物といえば、他に馬忠、魏では田豫・牽招が浮かぶ。張嶷の信望は、恐らくこの三者以上。)
・足の持病が悪化し、満足に歩けなくなる。しかし、劉禅に目通りし、姜維の北伐への随行を願い出る。劉禅はその意気に感じ、涙を流して従軍を許可する。
・姜維に従い、魏将徐質と交戦。多数の敵を倒すも、討死する。異民族達は嘆き悲しみ、廟を立てて祀ったという。
・陳寿は張嶷を評して言う。「見識、決断力があり、果敢であった。」