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墨子 ~理想と変容~

 墨家の特質、儒家との対立、変容などについてまとめます。



概略
 墨家の開祖。本名を墨翟(ぼくてき)と言う。字(あざな)、出身地は不明。職人でもあった。
 紀元前5世紀~紀元前4世紀の人。(春秋戦国時代。)

 細かい素性は、はっきりしない。「墨」という姓を持つ人物は、他にほとんど見られず、名家出身でないことは確かだという。
 墨翟の「墨」は、姓ではなく、(木材に塗る)墨(すみ)を指すという説がある。当時、職人を「道具+名前」と呼ぶ慣習があったという。

 墨子の諸々の思想は、「墨子」という書物に記される。主に弟子たちが著述した。




基本思想
 時は春秋戦国時代。周王朝の権威は衰え、長らく混乱が続く。国々は侵略戦争を繰り返し、国内では豪族が幅を利かせ、利己主義と迫害が横行した。
 そんな時代にあって、墨子は、兼愛(博愛)を推奨する。(兼は「広い」の意。)

 墨子は、このように説く。「人は困ったとき、兼愛の有難みを知る。」「貧困に陥ったときや、体調を崩したとき、『利己主義の社会』と『兼愛の社会』どちらがよいか?」(誰もが弱者になり得ることを喚起。)
 更に、因果応報を強調する。人に利を与えれば、利を返される。憎しみを向ければ、憎しみを返される。相手を害すれば、自分も害される。(これらは、絶対ではないにせよ、一つの原理ではあるだろう。)
 墨子は、つまるところ、「皆が利他的に振舞えば、皆が利を得る」と考えた。

 墨子は、「世に兼愛を根付かせることは、世に利を与えることであり、それは『天志』である」とする。また、社会的弱者(生活困窮者)を救うことは、その基本であると説いている。墨子は、為政者は福祉に努めるべきと強調した。


 他には、「非攻」(侵略戦争の否定)、身分主義の否定、浪費の禁止などを説いている。(「非攻」は「兼愛」と並び、墨子の思想の中心部分。)




墨子と儒教
 儒家も勿論、利己主義を否定し、人道を重んじる。しかし、墨家との間には、常に対立関係あり。
 儒家は基本的に、族縁を重んじる。「まず近親者を大事にし、その気持ちをよそ者にも広げるべし」と考える。
 墨子は、族縁にこだわらず、他者を平等に思いやることを説く。一族を贔屓するという態度が、世の混乱に繋がると強調した。


 また、儒家は、士大夫層と庶民をはっきり区別する。(身分主義。)士大夫層は、知性と人格を備えた教養人であり、庶民を正しい方向に導く必要がある。そういう信念を、儒家は持っている。また、世間に威儀を示すために、時に華美を重んじた。

 墨子は、まず、身分主義を否定する。士大夫層に属する者が、必ず為政者の資質を持つとは限らない。墨子は、家柄を度外視し、ただ賢明な者が為政すべきと説く。これを「尚賢」と呼んだ。賢を尚ぶ(たっとぶ)の意。
 墨子は、適材適所の重要性を説く。分野ごと、適格者がしっかり責務を果たすことが重要であり、それは官界においても例外ではない。そのように強調する。身内人事で厚遇され、安穏としている者は、速やかに排するべきとした。
 加えて、節倹(質素倹約)を主張する。身分に関わらず、物の独占を控えれば、国全体が富むと説いた。(当時は、物が限られた時代。)




考察
 士大夫層は、儒学の素養を必須とする。墨子は職人であり、基本的に庶民に類する。(史記は、墨子を「太夫」と記しているが、正確な事実ではないとされる。)
 また、当時の農村には、儒教(に基づく倫理)が普及していたが、墨子はその外にあり。
 結果、墨子は、儒教的世界観に囚われない。諸々の先入観・しがらみから自由な位置におり、物事を根本から捉え直した。


 儒家は個人個人を、全体の調和の中に置き、互いの倫理的関係性を重んじる。族縁関係や、士大夫と庶民の関係もそこに含まれる。
 しかし、墨子は、そういう認識はあまり持たない。墨子において、個人とは、ただ責務を果たす主体を意味する。儒家に比べ、個人を独立的に捉えている。
 この認識に従えば、人は他者と関わる際、自分との関係性のみを考えない。まず、相手を絶対的な主体と捉え、個人としての尊厳を認める。そういう心構えから、兼愛の精神が生まれる。身分主義にも、疑問が生じるだろう。

 儒家はしばしば、身分を重んじるが、そもそも身分とは何か。それは、本人の努力や資質のみに立脚するのか。逆に、生まれつき逆境にある者は、本人の落ち度が原因なのか。
 庶民出身の墨子は、そういったことが、常に念頭にあっただろう。墨子は、機会の平等や、弱者救済を念入りに説いている。(儒家も勿論、救民を志すが、視点が少し異なる。)  




墨子とキリスト教
 墨子の思想は、時々、「キリスト教的である」といわれる。この説は、妥当性を持つように思える。

 キリスト者(キリスト教徒)はまず、「人それぞれが、神と向き合う」という観念を持っている。そこに、他者との関係性はない。ただ、他者を「自分と同様の存在」と捉え、そこから「他人を個人として尊重する」という考えが生まれる。
 また、キリスト教には、「隣人愛」という概念がある。これは、「自分を大事にするのと同じように、他人を大事にせよ」というもの。(墨子も、実は全く同じ発言をしている。)


 なお、キリスト教国は、実際は争いや差別が多い。これは、根本の観念が忘れられ、利己主義に変貌した結果と思われる。




非攻
 墨子は、非攻(他国を攻めないこと)の徹底を説く。国々が攻め合う時代にあって、侵略戦争の無益さを強調した。
 例えば、こう述べている。「一人を殺したら大罪なのに、大勢を殺したら何故称賛されるのか?」
 墨子は、庶民出身の現実主義者。冷静、素直に真実を捉える。

 しかし、一方では、城を守るための軍備は推奨した。古代中国の城とは、城壁に囲まれた町を意味し、人々の生活と密着している。(墨子の防衛志向は、国への忠誠といった話ではなく、ただ現実主義に基づく。)

 墨子は、職人集団をまとめ、宋国の各城の防備に尽くす。技能を駆使し、敵は何度も撃退され、後に「墨守」という成語が作られる。(固守するという意味。)墨子は、気鋭の思想家であると同時に、軍事の専門家でもあった。
 また、この活動は、義によって行われ、報酬は必要以上に取らなかったという。




墨家の変容
 書物「墨子」には、「尚同」という言葉が出てくる。同調を尚ぶ(たっとぶ)の意。皆が上の者に服従すれば、世に混乱は生じないとする。(前提として、「天志」に基づく適正な人事を想定。)墨子の言としては、少し趣を異にしている。

 書物「墨子」は、長い期間をかけて成立した。墨子の死後、弟子たちが作り出した教義も、幾分含まれるだろう。「尚同」を唱えたのは墨子自身ではない、もしくは、弟子たちが極論に変えていった。そういう可能性があるという。後期の墨家は、国防に従事することが多くなり、思想内容も変化したとされる。

 墨家たちは、自らも、高度に組織化されていく。それだけでなく、絶えず相互監視し、結束の強化を図る。少し逸脱があれば、問答無用で制裁を加えた。カルト教団のように、過度な集団主義が生じていたと思われる。


 墨家は本来、個人の内的価値を重んじる。(これは儒家、道家も同じ。)倫理の確立、信義の実践などをもって、自らを証明する。
 一般に、内向型の精神は、集団主義に転じやすいとされる。余計な争いを避け、あえて他者と調和する結果、同質的な集団が形成されるという。(これは、日本人の特性でもある。)内向型の人間は、まず自分の内的世界を重んじるが、加えて集団に拠り所を求め、アイデンティティを補う場合がある。

 墨家は、儒家に比べ、逆境からのスタートだった。儒家の多くは士大夫層だが、墨家は、庶民の中から生まれた集団。世に思想を知らしめるのは、簡単ではなく、色々無理をする必要があったと思われる。理論武装と実践、いずれも徹底されていき、次第に強固な集団が形成された。
 また、墨家は信義を何より重んじる。それは、集団への忠誠に結び付きやすかったと思われる。(一方、儒家は倫理的世界観、道家は真理に即した生き方を追求。特定の集団に対し、強い帰属意識は持たない。)




儒家の興隆
 前漢の中期、儒教は国教扱いとなり、以後も長らく興隆する。墨家はこの時代、勢力は持たず、思想が伝わっているのみ。この違いは、どうして生じたのだろうか。

 儒教は、士大夫層と庶民を明確に分け、前者が後者を指導すべきとする。士大夫層にとって、都合がいい教義と言える。
 また、彼等は己の教養に自負を持っており、世の方向性を定める権利があると考える。これは傲慢なようにも思えるが、教養が確かな者が為政した方が、実際間違いは少ないだろう。
 儒家思想は、士大夫(教養人)に特別な身分を与えるが、そこには道理もある。

 勿論、庶民の中にも、知性・人格を備える者はいる。彼等に向学の機会、官界に入る機会があれば、いい素材になれる筈だが、身分社会がそれを妨げる。墨子は、その不公平、理不尽を是正することを考えた。
 しかし、身分をある程度固定し、士大夫層を遇した方が、統治上の面倒は少ない。当時としては、それは無難な方法ではあっただろう。


 墨子の思想は、全て、明快な論理で構成される。観念的な話はなるべく排し、現実的価値に帰着できるものを抽出する。兼愛思想も、利他の効用を説いたものであり、それ自体は正論に見える。
 しかし、人には利己性や、他者への負の感情がある。墨子は、それらは結局「害」に繋がると強調し、抑制すべきとしたが、皆がそういう自制心を持てる訳ではない。
 一方、儒家は様々な倫理的枠組を作り、個人をその中に組み込む。人々に上手くアイデンティティを与え、世に秩序を作り出す。

 墨子は庶民の家に生まれ、世の理不尽さを身をもって感じ、変革を志した。非凡な才と、意志の力をもって、混乱の時代に一つの光明をもたらした。
 しかし、ある意味、理想主義に偏っている面あり。その思想は、歴史上主流にはならなかった。




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