トップページ諸子百家>荀子

荀子 ~性悪説の真髄~

 荀子の考え方、人間性についてまとめます。



荀子の経歴
 古代中国の儒家。本名を荀況と言う。(字(あざな)は不明。)
 出身は趙国。生年は前313年、没年は前238年。(生年は異説あり。)孟子と同じく、戦国時代の人。(周王朝の藩国が、互いに抗争している。)また、荀彧(曹操の名臣)の祖先でもある。
 この荀子は、孟子とは逆に、性悪説で知られる。


 細かい経歴は不明。故郷時代(趙国)、王の前で兵法を語り、感心させたという記述がある。(内容は信賞必罰、兵糧重視など。)王の家臣だったと思われる。

 長らく故郷で過ごしたが、あるとき、斉国に移住する。(当時50歳。)祭酒(学会の長)に就任。
 また、秦国を視察したことあり。(時期不詳。)秦の昭襄王に謁見し、儒学の効用を説く。また、秦の宰相・范雎(はんしょう)と語り合い、秦の法治を称賛。

 あるとき、斉国を去り、楚国に移住する。宰相の春申君(しゅんしんくん)の推薦を受け、県令(県の長官)に就任。
 荀子はその地で、「荀子」を著述する。(実際は、全てが荀子の執筆ではなく、弟子がまとめたものも多い。)




ある事件
 楚の国に、李園という策略家あり。春申君(楚の宰相)の食客で、常々、成り上がりを目論む。(春申君は、荀子を取り立てた人物。)

 李園はまず、妹を春申君に差し出し、懐妊させる。一方、楚の王(考烈王)には子がいない。
 李園は、春申君に献策する。「懐妊中の妹を、楚王に差し出しましょう。妹が今後子供を産めば、楚王は自分の子と思い込み、跡継ぎにします。そうなれば、本当の親である貴方は、(その子が即位したあと)国を操れます。」

 春申君は、李園のこの策に乗る。しばらくのち、李園兄妹は、口封じのため春申君を暗殺。春申君は、手玉に取られた形。(本来は大人物なのだが、油断しすぎた。)


 世の中には、この李園兄妹のように、「人を騙す」という行為に抵抗がない者たちがいる。彼等は、即物的・利己的な個人主義を持ち、目的のために手段を選ばない。それが信条であるため、人を騙すための演技も、さして罪悪感なく行える。(漢人は取り分け、この種の現実主義を持ちやすい。)

 荀子は恐らく、春申君の事件を見て、性悪説への確信を強めた。春申君は、荀子にとって恩人であり、思うところは多かっただろう。
 また、李園兄妹だけでなく、春申君自身も、楚王を欺いている。この春申君は、元来、義士として知られていた。




荀子の方法論
 荀子は、「悪は本性、善は偽なり」と述べる。
 ここでの「偽」は、「人為」の意。荀子は、「善は教育によって、後天的に作るもの」と強調する。社会的規範が先にあり、個人をそれに当てはめる。(孟子とは、ベクトルが逆。)


 儒家は一般に、「礼制」を社会的規範とする。礼制とは、道徳に基づき、取るべき態度を定めたもの。
 荀子の考える礼制は、人それぞれに分を定め、欲望を抑制させることに重点がある。そして、「職分もまた、礼制の一部である」とした。

 例えば、「農民は田畑を手入れし、いい土壌を作り、収穫を増やす。地方官は領民を管理し、事業(開墾や福祉)の計画を立て、揉め事の調停もする。王と大臣は、国全体に気を配り、苦境の地域を救う。」荀子はこんな具合に、職分を明確化。これらを「礼制の一部」とすることで、倫理的意味を持たせた。

 荀子はまた、法の重要性を主張。「礼は法の大分なり」と述べている。つまり、礼制で大綱を定め、法で細かい規則を与える。




荀子の本質
 荀子は、何かと現実主義の面が目立つ。
 その一方で、「君子は爵がなくても高貴、俸禄が少なくても裕福である」と述べている。
 荀子は、孔子や孟子と同じく、本質は精神主義者。つまり、正統派の儒家に類する。

 荀子における礼制は、世に秩序を与えると同時に、個人に精神的充足をもたらすものだろう。荀子は恐らく、規範そのものより、個人個人の精神性を重視していた。
 その方法論の要点は、「自我や人間性を育てることで、動物的・無意識的欲求を抑制する」ということだと思われる。規範はただ従うものではなく、個々人が主体的・実存的に意味を捉える必要がある。


 荀子もまた、名言が多い。いずれも、洞察、含蓄に富んでいる。
 「上(じょう)の学びは、精神で聴くこと。中(ちゅう)の学びは、心で聴くこと。下(げ)の学びは、耳で聴くこと。」耳で聴くとは、言葉の表面のみ捉えること。心で聴くとは、理解しようとすること。精神で聴くとは、理解に努めるだけでなく、自らの価値観を再考すること。
 また、こう言っている。「学びよりも、行動(実践)に重きがある。行動をもって、学びは完結する。」物事の正しさは、現実の中で確かめられる。

 他に、こういう言がある。「すぐ近くにある場所でも、そこに向かおうとしなければ、永遠に辿り着かない。」例えば、何か目標を立てた際、なかなか取り掛からないパターンがある。いつでも始められると考え、結局始めないままになったりする。
 荀子はまた、こう言っている。「土が積もれば山となり、やがて竜が棲む。」小さなことの積み重ねが大事、という真理を、絶妙な言葉で表現。

 あと、こんな言もある。「誰かの人となりを知りたいときは、その交友関係を見よ。」


 また、荀子は、迷信を徹底して排斥。例えば、「天が人の不徳を怒り、災害を起こすことはあり得ない」と説く。自然界には独自の法則があり、人間の行いは関係ないと断言。当時としては、際立った合理主義者だった。(孔子や孟子は、神秘主義を「不可知」とし、肯定も否定もせず。これも、ある意味合理主義。)




孟子と荀子
 古代の漢人は、即物的な面と、精神性を重んじる面、両方有していた。前者は、「物にこだわり、取り合いをする」という性質。(漢人の歴史は、基本的に争いが多い。)後者は、「心を内に向け、道理を考える」という性質。(古代中国では、しばしば人の在り方が問われ、徳の観念が発達した。)

 孟子は恐らく、漢人の持つ精神主義に期待。実際、孟子の思想は、次第に広く普及した。孟子の理想通りの世は、そうそう実現しなかったが、理想自体は相応に理解された。利己主義への抑止力として、しばしば機能。

 一方、荀子は、漢人の即物性に注目する。利己主義を強く警戒し、直接的に抑制しようとした。そして、「外在的な規範(礼制)をしっかり定め、それを法で強化すべき」と考えた。
 実際、漢人は得てして、精神性より即物性が上回る。荀子の方法論は、即効性がある点で、孟子より現実的であった。(根本の価値観は、両者同じ。)




⇐前へ   次へ⇒

孟子 ~性善説の真意~

荀子 ~性悪説の真意~

老子 ~宇宙の真理~

荘子 ~差別への洞察~

墨子 ~理想と変容~



トップページ諸子百家>荀子