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時代背景 ~漢人の二面性~

 孔子は何故、「聖人」と呼ばれるようになったのか?当ページでまとめてみます。




即物性
 漢人社会には古来、即物性が根付いている。観念的なことより、具体的な物に目を向け、実利を重んじる。建前として観念を掲げても、一番の関心は常に「現実」に向けられる。(以上は定説。)そういう性質が根付いたことには、勿論理由があるだろう。

 まず、中国大陸は広大で、多様な人間が混在する。(地域が違えば、半ば別人種とされる。)また、古代の中国では、周辺に遊牧民族が居住。しばしば、漢人の領土に侵入する。
 中国大陸は、基本的に、秩序が持続しにくかったという。その結果、今得られる利益は逃さないという意志が生じ、即物的心性が強まったとされる。

 漢人の即物性は、生活環境にも由来する。それは、使用文字(漢字)にも現れている。古来、「山」、「川」、「木」など、自然の事物を型取った文字を使用。(アルファベット、平仮名などと異なり、抽象性が高くない。)これは、即物的心性と表裏一体とされる。




精神性
 古代の漢人は、その一方で、精神性を重んじる面あり。古代の中国には、言うまでもなく、優れた思想家が多い。寓話、比喩に長けた人物も目立つ。
 また、古代の漢人社会には、「徳」や「清」を称揚する空気が、常に存在していた。それらは時に、体制や人格の粉飾に使われたが、多くの場合は実存的信念であった。(陳寿「三国志」などを読むと、よく分かる。)
 これらを培った土壌は、どんなものだろうか。


 まず、古代の漢人は、基本的に農耕民族。土地に定住し、耕作や灌漑に努める。そういう農村社会では、共同体社会(相互扶助体制)が基本となり、余計な争いは避けようとする。(古代の漢人社会で、調和が重んじられたのは定説。)

 そのためには、共通の倫理が重要となり、人々は内省的になる必要がある。また、人は他者との闘争(物や地位の取り合い)にこだわらないとき、心は自ずと内に向かう。
 また、精神生活を充実させれば、物欲は抑えられ、本人も周りも落ち着く。物が限られた社会で、精神性を重んじることは、現実的な態度だった。

 そういう背景の元、漢人社会では、様々な倫理観念が生まれる。特に、読み書きができる者(余裕のある家に生まれた者)は、言語をもってそれを明確化する。(漢字は緻密、高度な文字体系。)その過程で、人や物事の在るべき姿や、万物の盛衰の原理を追求した。




孔子の本質
 古代の漢人は、即物主義と精神主義、二つの方向性を有する。
 孔子の言葉に、「君子は義に明るく、小人(しょうじん)は利に明るい」というのがある。孔子は精神主義者を「君子」、即物主義者を「小人」とした。(即物性自体は、勿論悪いものではない。度を越してはいけないという話。)

 孔子の時代、世の中は、即物主義・利己主義に流れる傾向あり。為政者はしばしば私欲で動き、民間では豪族が横暴を振るう。不毛な争い、理不尽な圧迫が横行し、混迷の時代が続いていた。
 そんな中、孔子は、精神性の回復を目指す。日々、仁の概念を追求し、その実践について考えた。また、弟子たちを、徳のある人士に育て、世に送り出すことに努めた。

 古代の漢人は、元来、精神性を重んじる面がある。しかし実際は、即物的欲求が上回ることが多い。そんな中、孔子は終始、精神主義を貫いた。孔子は理想の体現者として、人々の心を捉えたと言える。古代中国は、西洋や今の日本に比べ、内面的価値を重視する文化がある。

 また、当時は現代と異なり、情報が溢れている時代ではない。孔子は、自ら地道に、倫理の体系を構築。並外れた知性を持っていた。




内向型、外向型
 ユングの心理学には、内向型、外向型という言葉がある。前者は、人の内的価値を重視。後者は、外面的性質を重視。
 古代の漢人は内向型、現代の漢人は外向型、という説がある。参考図書は、山口実「世界諸国の国民性」。(因みに、この本によれば、日本人は(現代も過去も)内向型。現代の日本人は、そうとも言えない気がするが。)

 古代の中国では、「徳」という理念が重視され、悪政への規制力になっていた。そのような形態は、世界史において稀有だという。(一方、現代の中国は商業主義。)
 勿論、古代中国の歴史は、熾烈な争いの連続なのだが。一方では、精神主義が根付いていたことも、確かな事実だろう。

 これは、恐らく、社会環境から生じた部分が多い。古代の中国は、主として、灌漑型の農耕社会。そこでは、自分も他人も、「共同体の一員」「全体の中の一部」と捉えられる。人は他者との調和に努め、余計な争いを避ける。そして、内面的な生活を重んじ、ひたすら己の本分を果たす。(道徳の確立と実践も、その本分の中に含まれる。)これは、内向型の社会に類している。孔子ら儒家が理想とするところ。


 しかし、古代中国は、一筋縄でいかない世界。調和を重んじる農村社会も、一部の家系の伸長(つまり豪族化)により、事情が変わってくる。豪族が台頭した地域と、そうでない地域は、様相がだいぶ異なった。

 中国には古来、即物性が根差している。共同体から飛び出た豪族達は、しばしば、即物的な欲求を重んじる。豪族同士で互いに張り合い、一般の民には支配を及ぼした。
 即物主義の元では、人間も事物的に捉えられ、精神的な調和は排される。そして、競争や抗争など、様々な対峙関係が生じ、時に圧迫も起こる。これは、外向型の社会に類するだろう。

 漢人社会において、徳の大事さが強調されたのは、徳がしばしば欠如したためでもある。




相克
 古代中国は、一面において、内向型の社会。実際は、外向型の部分も存在し、絶えず相克が発生した。
 後漢時代では、儒家官僚・儒家豪族は、内向型の性質を持つ。一方、貪欲な宦官・豪族は、基本的に外向型。
 また、個々人の中にも、この相克は存在する。有力者層において、それは明白に現れる。儒家豪族の出身者は、精神性を重んじると同時に、権力欲を(多かれ少なかれ)保有。彼等は仁政を敷く一方で、随時に政争に力を入れた。

 この類の相克は、どこの国、どこの民族でも、基本同様だろう。しかし、古代中国では顕著と言える。


 なお、現代の漢人の多くは、鮮卑族との混血とされる。三国時代よりのち、鮮卑族は大陸内部に侵入し、次第に漢人と同化した。(中国の歴史は、三国時代が一つの境となっている。)




合理主義
 以上のような二面性とは別に、漢人社会には「合理主義」という特徴も存在する。即ち、判断基準の体系を作り、世の諸事をそれと照らし合わせ、意思を決定する。
 例えば、緻密な官僚組織の存在が、その代表例と言える。どの庁のどの部署に処理させるか、迅速、明確に決まる。

 儒教もまた、規範の体系をはっきり定め、それを元に是非を判断する。儒教は、ある意味合理主義であり、漢人社会と相性がよかった。儒者は仁を信条とするが、一方では冷徹な面が存在する。

 なお、原始的な儒教には、合理主義という性質はない。(儀礼が中心。)孔子は、従来の儒教を改新させ、倫理体系として成立させた。




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