トップページ>諸子百家>老子
老子は、深遠な世界観を元に、人の生き方を追求しました。
それによると、姓名は李耳、字(あざな)は聃(たん)。楚国の生まれで、紀元前6世紀の人(春秋時代)。
老子は成長後、周国に赴き、書庫管理の役人になる。やがて官を去り、隠遁生活を続ける。
あるとき、人から勧められ、「老子道徳経」を著述。(この書物は、「老子」と略称されることも多い。)
但し、これらは概ね、伝説の域を出ないという。「老子道徳経」は実在するが、作者の素性は本来不詳。また、「老子道徳経」に記される言は、実際は複数の人物のものとされる。
老子に関しては、基本的に謎が多い。当ページでは便宜上、一人の実在の人物とする。
第一章。「人が考えた道(どう)は、普遍的な道ではない。人が付けた名は、普遍的な名ではない。天地が始まった頃は、いかなる名も存在しなかった。万物の母(万物の器)が生じてから、初めて名が作られた。」
人間の住む天地、今ある天地は、人為的な道(道理)、人為的な名(レッテル)で溢れている。
しかし、この秩序立った天地も、原初においては、ただ混沌としていた筈。
原初の天地が、やがて事物を生み出し、万物の器という性質を持ってから、初めて名というものが現れた。(つまり、名(レッテル)は、根源的なものではない。)
第二十五章。「何らかの混沌とした物が、天地に先立って存在した。他の全てから独立し、別の物に変わることもない。あちこちを巡り、絶えず活動を続けている。これは、天下の母と見なすべき存在。私はその名を知らないが、仮に道(どう)と呼ぶことにする。」
天地とは、要するに宇宙。(天下も同じ。)最初の一文は、「ビッグバン以前」を連想させる。
道(どう)は、宇宙に先立って存在し、森羅万象を司る。
人の日常の世界観は、「自分と外界」、もしくは「人間と外界」を基本とするだろう。
人は日々、「自分が、外の物事とどう関わるか」を絶えず考える。結果、物事にレッテルを貼り、行動の際はルールを定める。世間には、一般的なレッテル・ルールが存在し、それが絶対的真実のように錯覚される。
老子は、そのような日常性を一時離れ、無心で世界を捉えようとした。
もし自我を抑制し、在るものをただ観察すれば、自分の意識も客体視されるだろう。自分の意識は、外界の事物と同じく、現象世界の一部として捉えられる。自我や意識は、根源的な主体ではない。
老子は、現象世界の全体に目を向け、それを司る摂理を考えた。仮に道(どう)と呼称。
自然科学も、基本的に二元論(物質と現象)と言える。人の意識、外界の事物はいずれも、物質間の作用で生じる現象。そして、物理法則がそれを司る。
老子の言う道(どう)は、物理法則だけでなく、万物の変転の法則を指す。言わば、宇宙のプログラム。(例えば、生物の進化の法則なども、このプログラムの一部だろう。)物理法則は言語。
老子は、こう述べる。「人は地に則(のっと)り、地は天に則り、天は道に則り、道(どう)は自然に則る。」(第二十五章)
まず、「地」とは、人が活動する場。「天」は、それを司る摂理で、人間界を包み込む。(恐らく、ユング心理学の「集合無意識」みたいなもの。)「道」とは、宇宙を司る摂理。そして、道は、ただ「自ずから然る」。
老子はまた、「有は無から生じる」と述べる。(第四十章)
ここでの無とは、「表に現れないもの」という意味合い。常に現象の背後にあり、現象を司る。道(どう)が活動する場と解される。
老子は、「無為」という概念を提唱。(この言葉は、著書「老子」の中に、何度も登場する。)
老子は、意識的な行動を避けることを勧める。自我の役目は、日々の行動において、道(どう)に反しない選択をすること。(つまり、自我が勝手なことを行わない。その意味で「為すこと無し」。)
実際、「無為」がいい結果に繋がった経験は、誰にでもあると思われる。自我が強まると、言語や論理を使いたがるが、それが真実に繋がるとは限らない。むしろ、直感が真実を捉えることは多い。また、集中力なども、自我が抑制されたとき高まる。
また、むやみに強がる者は、芯がしっかりしていない。一方、自然体をもって、状況によく対応する者は、根底に強さを備えている。
老子は、「柔は剛に勝つ」と述べる。(第三十六章。)また、水のように柔軟、しなやかであることを勧める。(第七十八章。)
そして、人の日々の生き方に関しても、「物事の隠された面を重視すべし」と説いている。
老子は、例えば、「無用の用」という概念を提唱。これは、「一見無用な物事に、重要な役割が存在する」というもの。
また、その説明として、容器を例えに出す。容器は、外形部分(目に付く部分)だけでは用をなさず、物が入る空間(何もない空間)があって初めて役に立つ。これは、「無が有を支えている」ということで、物事の二面性を表している。
実際、「無用の用」の例は、色々と思い当たる。日々、気力を持って活動できるのは、休息の時間があるおかげ。また、生活空間の不要物は、得てして心の安定と関わっている。
また、人の有意義な言動は、長年培った人格から生み出される。そして人格とは、実用的ではない知識、実を結ばなかった経験の上にある。
老子の言葉は、しばしば、物事の二面性をテーマとしている。(それが道(どう)の本質。)
例えば、以下のようなものがある。「他人に勝つより、自分に勝つべし。」「粗末な衣服をまとい、心に宝玉を抱く。」「真心のある言葉は、華美ではない。」「無駄に知識が増えると、本質を見失う。」「与える者は、結局多くを得る。」
老子は、倫理的なことは特に説かず、人生自体にヒントを提供する。日々を豊かにする方法を、様々に述べる。(孔子、孟子ら儒家とは、流儀が異なっている。)
そんな中、老子は、庶民がどう生きればよいかを考えた。宇宙の真理から出発し、人の在り方を追求。日々の生き方を説いた。
野心も見栄もあまり持たず、余計な自我は捨て、柔軟に現実に対処する。絶えず地に根差し、心の充実を意識し、日々の生活自体に価値を置く。これらは、庶民にこそ可能だった。
現代の日本は、老子の時代より余裕があり、生き方の選択に幅がある。いい時代なのは、言うまでもない。しかし、外面、見栄に過度にこだわり、内面的なものを軽んじる。そういう傾向がある。老子の諸々の言は、一つの真実を喚起する。
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孟子 ~性善説の真意~
荀子 ~性悪説の真意~
老子 ~宇宙の真理~
荘子 ~差別への洞察~
墨子 ~理想と変容~
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老子 ~宇宙の真理~
老子は、深遠な世界観を元に、人の生き方を追求しました。
老子の経歴
道教の開祖で、「史記」に伝記がある。それによると、姓名は李耳、字(あざな)は聃(たん)。楚国の生まれで、紀元前6世紀の人(春秋時代)。
老子は成長後、周国に赴き、書庫管理の役人になる。やがて官を去り、隠遁生活を続ける。
あるとき、人から勧められ、「老子道徳経」を著述。(この書物は、「老子」と略称されることも多い。)
但し、これらは概ね、伝説の域を出ないという。「老子道徳経」は実在するが、作者の素性は本来不詳。また、「老子道徳経」に記される言は、実際は複数の人物のものとされる。
老子に関しては、基本的に謎が多い。当ページでは便宜上、一人の実在の人物とする。
世界観
まず、老子の代表的な発言を二つ紹介。(抜粋と解釈。)第一章。「人が考えた道(どう)は、普遍的な道ではない。人が付けた名は、普遍的な名ではない。天地が始まった頃は、いかなる名も存在しなかった。万物の母(万物の器)が生じてから、初めて名が作られた。」
人間の住む天地、今ある天地は、人為的な道(道理)、人為的な名(レッテル)で溢れている。
しかし、この秩序立った天地も、原初においては、ただ混沌としていた筈。
原初の天地が、やがて事物を生み出し、万物の器という性質を持ってから、初めて名というものが現れた。(つまり、名(レッテル)は、根源的なものではない。)
第二十五章。「何らかの混沌とした物が、天地に先立って存在した。他の全てから独立し、別の物に変わることもない。あちこちを巡り、絶えず活動を続けている。これは、天下の母と見なすべき存在。私はその名を知らないが、仮に道(どう)と呼ぶことにする。」
天地とは、要するに宇宙。(天下も同じ。)最初の一文は、「ビッグバン以前」を連想させる。
道(どう)は、宇宙に先立って存在し、森羅万象を司る。
考察
老子は、日常の世界観から距離を置き、根本から世界を捉える。人の日常の世界観は、「自分と外界」、もしくは「人間と外界」を基本とするだろう。
人は日々、「自分が、外の物事とどう関わるか」を絶えず考える。結果、物事にレッテルを貼り、行動の際はルールを定める。世間には、一般的なレッテル・ルールが存在し、それが絶対的真実のように錯覚される。
老子は、そのような日常性を一時離れ、無心で世界を捉えようとした。
もし自我を抑制し、在るものをただ観察すれば、自分の意識も客体視されるだろう。自分の意識は、外界の事物と同じく、現象世界の一部として捉えられる。自我や意識は、根源的な主体ではない。
老子は、現象世界の全体に目を向け、それを司る摂理を考えた。仮に道(どう)と呼称。
考察2
老子の思い描く世界は、道(どう)と現象から成り、前者が後者を司る。自然科学も、基本的に二元論(物質と現象)と言える。人の意識、外界の事物はいずれも、物質間の作用で生じる現象。そして、物理法則がそれを司る。
老子の言う道(どう)は、物理法則だけでなく、万物の変転の法則を指す。言わば、宇宙のプログラム。(例えば、生物の進化の法則なども、このプログラムの一部だろう。)物理法則は言語。
老子は、こう述べる。「人は地に則(のっと)り、地は天に則り、天は道に則り、道(どう)は自然に則る。」(第二十五章)
まず、「地」とは、人が活動する場。「天」は、それを司る摂理で、人間界を包み込む。(恐らく、ユング心理学の「集合無意識」みたいなもの。)「道」とは、宇宙を司る摂理。そして、道は、ただ「自ずから然る」。
老子はまた、「有は無から生じる」と述べる。(第四十章)
ここでの無とは、「表に現れないもの」という意味合い。常に現象の背後にあり、現象を司る。道(どう)が活動する場と解される。
無為の勧め
道(どう)は現象を生み出し、変転させる。そして、現象の中には、人間も含まれる。この認識があれば、人は自我を過信し、暴走することはない。(自我の暴走は、バグみたいなもの。)老子は、「無為」という概念を提唱。(この言葉は、著書「老子」の中に、何度も登場する。)
老子は、意識的な行動を避けることを勧める。自我の役目は、日々の行動において、道(どう)に反しない選択をすること。(つまり、自我が勝手なことを行わない。その意味で「為すこと無し」。)
実際、「無為」がいい結果に繋がった経験は、誰にでもあると思われる。自我が強まると、言語や論理を使いたがるが、それが真実に繋がるとは限らない。むしろ、直感が真実を捉えることは多い。また、集中力なども、自我が抑制されたとき高まる。
また、むやみに強がる者は、芯がしっかりしていない。一方、自然体をもって、状況によく対応する者は、根底に強さを備えている。
老子は、「柔は剛に勝つ」と述べる。(第三十六章。)また、水のように柔軟、しなやかであることを勧める。(第七十八章。)
二面性の話
老子は、世界観を築く際、「現象の背後にあるもの」に目を向けた。そして、人の日々の生き方に関しても、「物事の隠された面を重視すべし」と説いている。
老子は、例えば、「無用の用」という概念を提唱。これは、「一見無用な物事に、重要な役割が存在する」というもの。
また、その説明として、容器を例えに出す。容器は、外形部分(目に付く部分)だけでは用をなさず、物が入る空間(何もない空間)があって初めて役に立つ。これは、「無が有を支えている」ということで、物事の二面性を表している。
実際、「無用の用」の例は、色々と思い当たる。日々、気力を持って活動できるのは、休息の時間があるおかげ。また、生活空間の不要物は、得てして心の安定と関わっている。
また、人の有意義な言動は、長年培った人格から生み出される。そして人格とは、実用的ではない知識、実を結ばなかった経験の上にある。
老子の言葉は、しばしば、物事の二面性をテーマとしている。(それが道(どう)の本質。)
例えば、以下のようなものがある。「他人に勝つより、自分に勝つべし。」「粗末な衣服をまとい、心に宝玉を抱く。」「真心のある言葉は、華美ではない。」「無駄に知識が増えると、本質を見失う。」「与える者は、結局多くを得る。」
老子は、倫理的なことは特に説かず、人生自体にヒントを提供する。日々を豊かにする方法を、様々に述べる。(孔子、孟子ら儒家とは、流儀が異なっている。)
時代背景
時は春秋時代。周王朝の権威は衰え、藩国が独自に為政。利己主義がはびこり、国々は互いに抗争し、世の中は混迷する。権勢者が横暴を振るい、一般庶民は苦境にあった。(孔子とほぼ同時代。)そんな中、老子は、庶民がどう生きればよいかを考えた。宇宙の真理から出発し、人の在り方を追求。日々の生き方を説いた。
野心も見栄もあまり持たず、余計な自我は捨て、柔軟に現実に対処する。絶えず地に根差し、心の充実を意識し、日々の生活自体に価値を置く。これらは、庶民にこそ可能だった。
現代の日本は、老子の時代より余裕があり、生き方の選択に幅がある。いい時代なのは、言うまでもない。しかし、外面、見栄に過度にこだわり、内面的なものを軽んじる。そういう傾向がある。老子の諸々の言は、一つの真実を喚起する。
孟子 ~性善説の真意~