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全般3


同姓同名
 正史には、同姓同名が結構いる。

 黄蓋(呉の将と、呉の日南太守)
 孟達(蜀・魏に仕えた人物と、魏の安定太守)
 馬忠(蜀の臣と、呉の将)
 王双(曹真の将と、曹仁の将)
 徐質(郭淮の将と、魏の利成太守)

 劉岱(後漢の州刺史と、曹操の将)
 張温(後漢の臣と、呉の臣)
 李粛(後漢の武官と、呉の臣)
 陳紀(後漢の臣と、袁術の部下)
 許攸(袁紹の部下と、関中の勢力の長)




同姓同名2
 董卓配下の胡軫と、司隷校尉の胡軫。
 訳本(ちくま学芸文庫)の索引では別人扱い。
 しかし、あまり見ない名なので、同一人物の可能性も高い。

 なお、後者の胡軫は、張既伝の註釈に登場する。




表記変更
 三国志演義で表記が変わった人物。

 楊弘→楊大将 / 梁綱→梁剛 / 焦触→烏桓触 / 攴胡赤児→胡赤児 / 閔純→関純 / 李利→李別 / 呂乂→呂義
 「楊大将」は、正史の「長史楊弘、大将張勲」の部分が誤読された結果。多分有名な話。
 なお、読みは、攴は「ほく」、閔は「びん」、乂は「がい」。

 また、演義の「傅士仁」は、正史では「傅士仁」とも「士仁」とも記される。
 関羽伝の本文では傅士仁。楊戯伝の「季漢輔臣賛」、呉主伝の本文では士仁。演義では、関羽伝の表記を採用。




焦触の度量
 焦触は、元は袁氏に帰属。反乱してのち、幽州刺史を名乗ったが、やがて曹操への助力を決める。
 その後、州の高官たちを集め、一人一人と盟約を結ぶ。
 このとき、別駕従事(州の補佐官)の韓珩は、「袁氏の恩を忘れることはできない」と拒否。周りの者は皆、成り行きを案じる。
 しかし焦触は、「彼は大義を重んじているのだ」と述べ、立ち去ることを許した。

 演義にも、この逸話は記される。しかし、「焦触」ではなく「烏桓触」と誤記されている。演義だけだと、焦触と烏桓触は別人と解されてしまう。
 もし誤記されなければ、三国志ファンの間で、焦触のイメージは大きく変わっていただろう。




史書の信憑性
 正史の註釈には、袁譚・孔融・焦和の失政の記述がある。
 これら三つは、書き立て方がなんか似ており、やけに印象に残る。理想と現実の乖離を、大げさに書いている感じがある。
 引用元の史書を見てみると、三つとも「九州春秋」。この史書は、誇張を流儀にしているのだろう。どこまで鵜呑みにしていいか、いまいち分からない。

 正史の註釈では、様々な史書が引用されているが、眉唾なものも多い。例えば、「魏略」は異聞、「零陵先賢伝」はアンチ劉備を特徴とする。いずれも、風評被害の元。




地方長官
 正史と演義の違いの一つは、地方長官の活躍の記述。
 演義は、領地の取り合いがメインで、内地の細かい状況は記されない。

 活躍が顕著な地方長官。
 魏:劉馥、杜畿、梁習、満寵、賈逵、孫礼、・・・
 呉:賀斉、歩隲、呂岱、・・・
 蜀:張翼、馬忠、張嶷、呂乂、・・・
 後漢:劉虞、陳登、董和、・・・




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