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鍾会は策略家だが、学問を好む。政治への意欲も強い。
賈充も同じく策略家で、政務にも長ける。ひたすら現実主義。
鍾会は蜀を倒してのち、魏に反乱する。司馬昭に警戒されている、と疑ったため。
司馬昭も、鍾会が出発する前に、既に反乱を予測していた。
司馬昭にとって、本当の腹心は、賈充のみだったのだろう。
賈逵は弘農(長安の東)をまとめ、後には豫州刺史として活躍。
どちらも際立った功臣だが、性格は異なる。鍾繇は芸術を好み、書家としても有名。賈逵には、そういう面は特になく、「春秋左氏伝」(歴史の研究書)を好んだという。
一方、儒家を名乗っている豪族も、実際は貪欲という場合あり。
曹操は法をもって、彼等が幅を利かせる体制を解体。(魏王朝成立前。)
陳羣ら儒家名士は、その跡地に、新しい秩序(礼教体制)を構築した。(魏王朝成立後。)
豪族社会は解体されても、共同体そのものは必要となる。(当時は重農主義の時代。)純粋な法治は根付きにくい。(個人が法のみに規制される、という世の中にはなりにくい。)
国家が礼教を掲げ、各地の共同体に共通の倫理を与え、統一的世界を実現する。この形が、当時は最も有効であった。
しかし魏の中期から、貴族層は道家色を強める。
一つは、政争の活発化により、朝廷に暗雲が立ち込めたため。(司馬師、司馬昭の時代。)貴族たちは、世俗からの逃避を欲した。(「竹林の七賢」も、この頃に登場。)
また、(後漢以来の)厳正な儒教への反発が、根底にあったとされる。
時代はやがて、魏から晋に移る。この頃、貴族層の性質は、魏初期の時代から既に変容。
彼等は自制を排する傾向も持ち、次第に貪欲の気風が生じ、贅沢が流行ったとされる。
また、「清談」を常々好んだが、実際は分裂した心性を持ち、その理想論は偽善的な場合もあった。
後に、晋が滅亡すると、貴族らは江南に亡命。まもなく王朝を再建する。(これは「東晋」と呼ばれる。元の晋は「西晋」。)彼等は、土着豪族を巧みに丸め込み、速やかに実権を握った。
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魏晋4
鍾会と賈充
司馬昭の腹心は、鍾会と賈充の二人。(それぞれ、鍾繇と賈逵の子。)鍾会は策略家だが、学問を好む。政治への意欲も強い。
賈充も同じく策略家で、政務にも長ける。ひたすら現実主義。
鍾会は蜀を倒してのち、魏に反乱する。司馬昭に警戒されている、と疑ったため。
司馬昭も、鍾会が出発する前に、既に反乱を予測していた。
司馬昭にとって、本当の腹心は、賈充のみだったのだろう。
鍾繇と賈逵
鍾繇は長安をまとめ、関中軍閥との関係を調整。後には洛陽を復興させた。賈逵は弘農(長安の東)をまとめ、後には豫州刺史として活躍。
どちらも際立った功臣だが、性格は異なる。鍾繇は芸術を好み、書家としても有名。賈逵には、そういう面は特になく、「春秋左氏伝」(歴史の研究書)を好んだという。
魏王朝の体制
かつて、後漢の後期、世俗的な豪族が台頭。宦官・外戚と結託し、権勢を増す。一方、儒家を名乗っている豪族も、実際は貪欲という場合あり。
曹操は法をもって、彼等が幅を利かせる体制を解体。(魏王朝成立前。)
陳羣ら儒家名士は、その跡地に、新しい秩序(礼教体制)を構築した。(魏王朝成立後。)
地方の情勢
曹操の時代、杜畿が河東郡、劉馥が合肥県、梁習が并州(の中心部)を担当。それぞれの方策によって、大きな治績を挙げたが、その根本は郷里社会(儒教的共同体)の再建にあった。豪族社会は解体されても、共同体そのものは必要となる。(当時は重農主義の時代。)純粋な法治は根付きにくい。(個人が法のみに規制される、という世の中にはなりにくい。)
国家が礼教を掲げ、各地の共同体に共通の倫理を与え、統一的世界を実現する。この形が、当時は最も有効であった。
道教の台頭
陳羣と司馬懿は、貴族層の中でも、正統派の儒家。彼等が、魏初期の政治を主導した。しかし魏の中期から、貴族層は道家色を強める。
一つは、政争の活発化により、朝廷に暗雲が立ち込めたため。(司馬師、司馬昭の時代。)貴族たちは、世俗からの逃避を欲した。(「竹林の七賢」も、この頃に登場。)
また、(後漢以来の)厳正な儒教への反発が、根底にあったとされる。
晋の貴族
道家は、常に自然の摂理を重んじ、人為的な倫理を排する。礼教の束縛、現実の様々なしがらみから、自我を解放する思想。当時の洛陽には、独特の活気が生まれた。時代はやがて、魏から晋に移る。この頃、貴族層の性質は、魏初期の時代から既に変容。
彼等は自制を排する傾向も持ち、次第に貪欲の気風が生じ、贅沢が流行ったとされる。
また、「清談」を常々好んだが、実際は分裂した心性を持ち、その理想論は偽善的な場合もあった。
後に、晋が滅亡すると、貴族らは江南に亡命。まもなく王朝を再建する。(これは「東晋」と呼ばれる。元の晋は「西晋」。)彼等は、土着豪族を巧みに丸め込み、速やかに実権を握った。