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全般5


名士たち
 後漢・三国時代は、儒家の名士が政治性を持ち、情勢に絶えず関与。
 彼等名士は、均質的ではなく、色んなタイプが存在した。

 例えば、諸葛亮、荀彧、陸遜はリアリスト(現実主義者)。王朗や華歆は理想主義者。郭図や審配は権勢志向。虞翻、劉巴、袁渙は己の道を生きた。
 司馬氏はリアリストで、且つ、権勢志向が目立つ。




漢人の特徴
 漢人は、何かと「策略」を好む。「演じて欺く」という行為に、しばしば抵抗がない。三国志では周魴が好例。

 また、「異民族や反乱者を宴に誘い、席上で殺害する」というパターンがある。三国志では、色んな人物が行っている。
 呉臣歩隲(ほしつ)も、交州に赴任時、不穏分子の呉巨をこの方法で始末。歩隲は、普段は、穏健な性格で知られていた。

 当時は儒教社会だが、儒家思想には、そもそも冷徹な面あり。「正しい目的のためには、時に手段を選ばなくていい」と考える傾向を持つ。




漢人の特徴2
 古代の漢人は、基本的に「義」を重んじる。
 策を弄する場合も、少なくとも建前としては、目的が義に沿ったものである必要がある。
 当時、儒教の教義は社会倫理であり、絶えず横暴への抑止力になっていた。

 三国志の時代、徐州の南部に、笮融という指導者あり。策略一辺倒で、義をあまりに軽んじたため、結局評判を失って滅びた。




周倉
 周倉は、民間伝承上の人物。関羽の従者として活躍。怪力、健脚、忠義などに関し、破天荒なお話が多く伝わっている。徒歩で赤兎馬(関羽の馬)に付いていけた、とか、馬を担いで走ることができた、など。

 昔の中国は儒教社会だが、民間では、豪放な人物が人気を得たらしい。「三国志演義」の張飛もその例。周倉の実在は定かではないが、ともかく、一つの人物像として広く流布していた。

 「三国志演義」では、いまいち周倉のキャラが生きていない。怪力は明記されているが、総じて出番は少ない。
 演義の物語は、歴史性重視で、基本的に現実志向。だから仕方ないのだが、物足りない感もある。




演義の豪傑
 「三国志演義」は、基本的にフィクション。個性的な豪傑が結構登場する。
 周倉を初め、武安国、邢道栄、胡車児、何曼、鄂煥など。 
 いずれも、怪力だったり、独特の得物を使ったりする。

 この中で、史書にも登場するのは、胡車児と何曼のみ。前者は張繍の部下、後者は黄巾の頭目の一人。




胡車児
 演義の胡車児は、怪力を売りとする。五百斤の荷を背負いながら、日に七百里を行くという人物設定。
 いかにも創作上の人物という感じだが、意外にも、史書に名前が出てくる。軍中で一番の武勇があったとされるが、怪力の話は特に記されない。

 なお、何曼は、史書には名前のみ登場する。曹操軍に敗れるが、その後どうなったかも記されない。どんな人物だったのか不詳。




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