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正史と演義
 歴史書の「三国志」は、晋の時代に成立。陳寿という人物が記した。
 王朝公式の歴史書で、一般に「正史」と呼ばれる。

 一方、「三国志演義」は、明の時代の文学作品。三国統一から、1200年以上経過している。
 物語の元となっているのは、種々の歴史書、及び、民間伝承や講談。
 著者は羅貫中という人物だが、実質、多くの民衆が創作に関与している。




正史と演義2
 三国志演義は、特殊な小説。後世の人々が、史実に思いを投入し、作り上げていった世界。
 ある意味、三国志の完成形と言える。

 しかし、明らかに、内容が偏っている部分もある。むやみに誇張、歪曲がなされていることがある。
 それは、三国志演義の面白さの一つだが、正史を知らなければ、誤った歴史認識・人物認識が生じる。




後漢書と裴松之註
 陳寿の「三国志」は、随所に註釈が付いている。これは、裴松之という人物の手による。5世紀の史家で、南朝の宋王朝に仕えた。
 裴松之は、野史(正史以外の史書)の引用を行い、随時に見解を付加。
 裴松之註の内容は、基本的に正史ではないが、便宜上、正史の一部と見なすこともある。

 また、「三国志」は後漢後期を含むので、范曄の「後漢書」と少し重なる。
 なお、後漢書は5世紀、南朝の宋王朝で成立。正史に類する。


 范曄と裴松之は、いずれも、南北朝時代の初期の人。同じ国(宋)に仕えている。
 范曄が「後漢書」の執筆を始めたのは432年。裴松之が「三国志」の註釈に取り掛かったのは429年。




種々の差異
 正史・演義の差異を、人物にスポットを当てて羅列。4つの項目を用意。(上の2項目は、重複も含まれる。)


・正史と演義で活躍内容が違う:諸葛亮、張翼、張嶷、馬忠、徐庶、夏侯惇、程昱、毛玠、文聘、呂虔、太史慈、陳登、笮融、蒯良

・正史と演義で性格が違う:諸葛亮、華歆、王朗、夏侯惇、徐晃、周瑜、魯粛、公孫瓚、陶謙、董承、孔融、笮融、蒯良

・演義では扱いがいまいちだが、正史では活躍が多い:曹休、夏侯尚、韓浩、李通、朱然、麴義、徐栄

・演義では登場が少ないが、正史では活躍が多い:鍾繇、満寵、賈逵、田豫、張既、朱治、呂範、歩隲、潘濬




人物像の歪曲
 演義の周瑜は、正史同様、呉随一の英才。
 しかし、諸葛亮の引き立て役でもある。
 それだけでなく、狭量な性格に描かれ、人物像自体がちょっと違う。

 また、演義の孔明は、当初は理知的な人物。
 しかし、北伐の頃から、徐々に戦争狂となる。時に、酷薄な感じも受ける。ある意味、演義の被害者の一人。




人物像の転換
 人格者の華歆が、演義では稀代の悪人。
 王朗も同じく人格者だが、演義では短気でアグレッシブ。
 また、穏健派の蒯良が、演義では苛烈な策略家。

 一般に、人は表の人格だけでなく、隠れた人格(抑圧された人格)を持つ。演義でしばしば、正史と反対の人物像が描かれるのは、恐らくそういうモチーフ。




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