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異民族 ~中華の外患~

 漢帝国にとって、異民族の問題は、常に重大ごとでした。当ページでは、王朝と異民族の関わりを、一通りまとめておきます。



基礎知識
 漢人の世界の周辺には、様々な異民族がいた。その多くは、いわゆる遊牧民族だった。
 彼等は農耕民族と異なり、長期間の定住はできない。居住地において、牧草が少なくなれば、新しい地を求めて動く。
 また、狩猟を行うことで、随時食糧を獲得。

 彼等の生活には、不安定が付きまとう。食糧などが欠乏したら、他の民族から略奪する。(彼等は概ね、騎馬に長けていた。)徹底した現実主義で、基本的に利で動く。また、敵味方を明確に区別。(そして、恩義を重視。)




概括
 大陸北西部には、匈奴が居住する。前漢の初期、匈奴の勢いは盛んだった。王朝は彼等に対抗する力がなく、あえて下手に出ていた。
 その後、王朝の基盤は固まる。武帝(七代皇帝)は匈奴討伐を行い、勝利を重ねる。(衛青、霍去病(かくきょへい)が活躍。)一方、羌(きょう)族が匈奴の傘下にあったが、匈奴の没落と共に勢威を失った。


 後漢の初期(光武帝の時代)、匈奴は南北に分裂し、南匈奴は漢王朝に服属。
 また、明帝(二代目皇帝)の時代、王朝は北匈奴の討伐を行い、何度も戦果を挙げる。(班超が活躍。)南匈奴も漢に協力し、北匈奴は次第に離散。やがて、滅亡に至る(後漢初期)。
 その後、南匈奴から、時々反乱者が出る。しかし、王朝をおびやかすには至らず。

 また、王朝は羌族討伐を行い、あらかた制する。彼等に強制し、漢の領土に移住させ、その力を削ごうとした。(これらは、後漢初期~中期。)


 一方、北東部には、烏丸族、鮮卑族が居住する。(両者は元々は、同一の民族。)匈奴や羌族と同じく、遊牧・狩猟民族。彼等も、何度も漢王朝と衝突した。




特徴
 これら異民族の中で、匈奴が最も粗暴、精悍とされる。一方、羌族は知性も兼備。漢語を習得する者も、結構存在した。

 烏丸は鮮卑より、漢人との関わりは深い。何度か懐柔され、機を見て反逆した。一方、鮮卑は勢力が大きく、懐柔自体なかなか受けない。

 五胡十六国時代、鮮卑は大陸北部に進出し、漢人の文化を受け入れる。漢人との関わりが、比較的少ない分、逆に抵抗がなかったのだろう。かくて鮮卑は、次第に漢人と同化。




羌族
 羌族帰服後、涼州では、漢人と羌族が同居する。(涼州は西の辺境。)

 儒教において、異民族とは、導くべき存在。要するに、押し付けを行っていいと見なされる。漢人の官僚は、得てして、異民族の風習、気質などに配慮しない。
 その上、しばしば搾取を行い、あるいは、過酷な労役を課した。漢人にとって、異民族は、元々野蛮な侵略者。そして、彼等を迫害する建前を、国教である儒教が提供した。

 羌族の恨みは蓄積し、後漢の中期以後、度々反乱を起こす。(朝廷は一時、涼州放棄まで考えた。)これは、王朝衰退の一因。




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