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嘉靖本

 三国志演義の刊本の一つ、「嘉靖本」について解説します。

成立と変遷  嘉靖本  毛本  史実と演義


特徴
 明の嘉靖帝の時代に成立。現存する最古の刊本。
 この嘉靖本は、毛本(メジャーな刊本)にない文が結構ある。基本的に、人物紹介が細かく、場面も細部に凝っている。

 以下、嘉靖本にあって毛本にない文を、いくつか挙げてみる。
 「左に陳宮あり、右に高順あり」(第11回)。
 「蒋欽は顔黒く、髭は黄色。立派な体つき。周泰は容貌は豹、体つきは虎。目は朗らか、眉は濃い」(第15回)。
 「梁剛、楽就が二人がかりで呂布と戦う。袁術は中軍を率いて進み出る。しかし後軍が(楊奉らに襲撃され)混乱」(第17回)、「紀霊が引き返し、関羽と戦う。他の将兵は皆四散」(同じく第17回)。
 「文聘は身の丈八尺、雄雄しい姿」(第41回)。
 なお、括弧内には、毛本で相当する回を記載。(嘉靖本と毛本は、基本的な構成は同じだが、毛本は嘉靖本の二話分を一話とする。)

 他にも、嘉靖本には、特徴的な箇所がある。例えば、関羽が顔良を倒す話に、註釈が付けられている。顔良は関羽を味方だと思い込み、油断して斬られたのだという。他に有名なのは、孔明の最後の北伐での一幕。嘉靖本においては、孔明が魏延焼殺を試み、失敗して馬岱に責任を転嫁。


 あと、重要な相違点として、関羽の三男・関索が挙げられる。嘉靖本には、関策は一切出てこない。李卓吾本、毛本、他複数の刊本に登場する。また、演義の前身である「三国志平話」にも少し登場。(つまり、嘉靖本で削除され、後の刊本で復活。)
 元は民間伝承上の人物で、明代に「花関索伝」という本にまとめられた。




原文
 嘉靖本の日本語訳は、多分出ていない。出版されている訳本は、いずれも毛本に準拠。(但し、岩波文庫の訳本(小川環樹)は、嘉靖本の記述も一部入れている。)
 嘉靖本の原文は、ネットで読むことができる。

 原文の探し方は、例えば「祭天地桃園結義」や「帝会群臣于温德殿中」で検索。前者は、嘉靖本の第一回の見出し。(毛本では「宴桃園豪傑三結義」。)後者は、嘉靖本の第一回の中の文。(毛本では「帝御温德殿」。)また、「三国志通俗演义」などと組み合わせて検索するとよい。

 因みに、毛本の原文は、単に「演義+原文」で検索。簡単に見つかる。




李卓吾本
 李卓吾本とは、三国志演義の刊本の一つ。嘉靖本よりあと、毛本より前。
 正式名は、「李卓吾先生批評三国志」。その本編(批評以外の部分)は、嘉靖本とほぼ同じ。

 李卓吾本の本編は、訳本が存在する。訳者は湖南文山で、題名は「三国志通俗演義」。(江戸時代初期。)概ね、原文に忠実に訳されている。(若干だが脚色、省略がある。)

 江戸時代後期、これに挿絵が付けられ、「絵本通俗三国志」と名付けられた。この本は、今でも比較的入手容易。(古いが、結構読みやすい。)嘉靖本の原文を読む代わりに、これを読めば十分かも知れない。

 また、吉川英治の「三国志」は、文山の訳に拠っている。従って、吉川三国志の内容は、嘉靖本にも近い。


 なお、李卓吾本の原文は、「李卓吾先生批評三国志」で検索すれば見つかる。(あるサイトで、原本の全ページが写真保存されている。)




嘉靖本・李卓吾本の相違
 李卓吾本の本編と、嘉靖本の相違について、知る範囲で記しておく。

 関索は、嘉靖本では登場を省かれたが、李卓吾本には登場している。(これが最も大きな違い。)また、李卓吾本では、袁術の宦官討伐シーンがやや長い。(袁術の凶暴さを強調するためだろう。)あと、上で挙げた「梁剛、楽就が二人がかりで」の場面。李卓吾本では、「梁剛」が「梁紀」と誤記されている。

 目立つ相違は、恐らくこのくらい。嘉靖本と李卓吾本は、基本的に方向性が同じ。後に毛本において、独特のテイストが入った。  




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