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涼州の出来事2 関中の動向


曹操と関中
 196年、曹操が洛陽で帝を奉じる。同年、許県(豫州)に遷都。
 曹操の勢力は盤石で、李傕らは帝から遠ざかる。


 長安西の一帯は、「関中」と呼ばれる。(「函谷関の向こう側」という意。)司隷の西部から、涼州の東部に及ぶ地。
 馬騰、韓遂は、この関中を勢力圏とする。曹操にとって、常に警戒の対象だった。

 198年、曹操は呂布(徐州)を討伐する。その前に、鍾繇(しょうよう)を長安に赴任させ、関中の懐柔に当たらせる。ほどなく、馬騰、韓遂は、曹操と同盟関係を結ぶ。

 その後、曹操は袁氏と抗争。202年、袁尚が高幹・郭援に指令し、河東郡(司隷)に侵入させる。
 このとき、馬騰らは、曹操に助力。鍾繇が馬超(馬騰の子)を指揮下に置き、高幹らを撃破した。

 あるとき、馬騰と韓遂は仲違いする。(恐らく、主導権争い。)最初は馬騰が優勢だったが、結局膠着する。(武才は馬騰、軍略は韓遂が上回る。)そして、曹操が両者を仲裁した。
 なお、これらの時期は不詳。


 やがて、馬騰は槐里(かいり)県に移り、一帯をよく治める。(槐里県は、司隷右扶風郡に所属。)一方、馬超が西方に残り、軍閥を引き継ぐ。馬騰は、後に朝廷に入る。
 馬超は、馬騰以上の武勇を持ち、羌族からも高い支持あり。性格は粗暴。




騒乱
 206年、邯鄲商(かんたんしょう)が雍州刺史となる。一方、張猛という人物が武威太守に就任。両者は同行することとなる。
 彼等は歳が同じで、道中、軽口を叩き合う。しかし、心の底では、双方恨みが蓄積する。(親密になろうとも、互いに最低限の敬意を忘れると、人間関係は崩壊する。)邯鄲商は張猛に対し、殺意を抱くまでになった。張猛もそれを察知。

 両者が着任してから三年、張猛が邯鄲商の屋敷を襲撃し、これを殺害する。三年の間、ずっとわだかまりは消えなかったらしい。


 その後、韓遂が張猛を討伐する。韓遂は西涼の親玉であり、無暗に秩序を乱す者を放置できない。また、張猛の勢力を併呑する算段。
 一方、張猛の配下の人々は、韓遂を恐れる。韓遂が来る前に寝返り、張猛を殺害した。




馬超らの反乱

涼州(馬超の反乱)

允吾は金城郡の首都、冀は漢陽郡の首都。
南鄭は漢中郡(益州)の首都。



 211年、曹操が鍾繇(しょうよう)に指令し、漢中方面に進軍させる。
 漢中は、関中のすぐ南。馬超、韓遂ら関中軍閥は警戒し、反乱を起こす。馬騰が曹操の元にいたが、馬超は決行。

 馬超ら関中軍は、潼関(とうかん)へ向かい、曹操は曹仁に守らせる。(潼関は長安の東。すぐ北東には、黄河、渭水の合流点がある。)曹仁と馬超は、いずれも屈指の名将。戦況は膠着する。
 しばらくして、曹操自身が潼関に向かう。苦戦しつつ、周到に砦を構築。(徐晃が活躍。)更に、賈詡(かく)の離間策を用い、勝利を得る(211年)。一方、馬騰は曹操に殺害される。
 韓遂は金城郡、馬超は漢陽郡に撤退し、挽回を図った。


 翌年、馬超が再び反乱する。羌族に各地を荒らさせ、自身も冀(き)県(漢陽郡)に進軍する。(冀県は当時、涼州の首都。刺史の韋康が駐在している。)
 馬超は、城を包囲して攻撃し、八か月が経過する。韋康は降伏したが、馬超は一族共々殺害する。その後、韋康の参謀楊阜(ようふ)に報復され、奇襲に遭って敗走。
 馬超は張魯(漢中の指導者)を頼り、曹操との抗争を続けたが、後に劉備の配下に入った。




夏侯淵の活躍
 213年、曹操が魏公となり、冀州に魏国を建国。(漢王朝の藩国。)
 同年、曹操は、州を大幅に改編。冀州・并州・幽州を合わせて、新たな冀州とする。また、雍州・司隷・涼州を合わせて、新たな雍州とする。
 元の雍州は、西端の辺境のみ。新しい雍州は、この地域から、洛陽周辺にまで至る。首都は長安。
 曹操はまた、金城郡の西部を分割し、西平郡を設置した。


 その頃、韓遂は羌族と結託し、連合軍を形成。やがて、夏侯淵(曹操の将)が討伐に向かう。夏侯淵は、曹操の親族の中では、曹仁と並ぶ名将。
 夏侯淵はまず、諸軍を派遣し、羌族の地元を襲撃する。羌族などの遊牧民族は、同胞同士の結束を重んじるため、直ちに救援に向かう。これにより、韓遂はだいぶ力を削がれた。
 夏侯淵はその後、進軍を開始し、略陽県(漢陽郡)で韓遂と遭遇。夏侯淵の配下の諸将は、敵軍の数と威容を見て、まず砦を築くことを主張する。しかし、夏侯淵は勝機を見出し、一気に攻勢をかける。韓遂は敗れ、西平郡に逃亡(214年)。
 韓遂は、翌年病死する。殺害された、ともいわれる。


 後に、夏侯淵は高平県(雍州安定郡)に進軍し、匈奴を撃破する。
 また、武都郡(雍州)にも進軍し、氐(てい)族、羌族を攻撃。周辺の地で、穀物の収穫を行った。




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