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チンタイ ゲンハク
陳泰 玄伯
  
~洞察力優れる知将~

 魏の官僚、軍人。并(へい)州刺史となり、辺境をよく治める。後に雍州刺史を務め、姜維の北伐に巧みに対処。やがて朝廷に入り、中央の政務に携わる。



辺境統治
・豫州(よしゅう)の潁川(えいせん)郡出身。魏の重臣陳羣(ちんぐん)の子。代々、名士の家系。
・曹叡の時代、散騎侍郎(帝の側仕え)となる。


・曹芳の時代(実権は曹爽)、并(へい)州刺史に任じられる。将軍位も兼ねる。
・州を治めるに当たり、威光と恩愛を共に示し、異民族をよく手なずける。
・貴族達が、異民族に奴婢を売ろうとする。彼等は、陳泰に金品、手紙を送り、異民族との仲介を頼む。陳泰はこれらを受け取ると、その全てに封をし、一切開かない。後に、尚書(帝の秘書官)に任じられる。都に帰る前、金品をまとめて返す。




対姜維1
・郭淮の後任として、雍州刺史に任じられる。(なお、当時の帝は曹芳、実権は司馬懿。)

・蜀の句安(こうあん)、李歆(りきん)が、姜維の指令を受け、麹山に砦を築く。陳泰はこう言う。「麹山の敵は、輸送を羌(きょう)族に頼っている。しかし、羌族は労役を嫌っている。彼等を包囲すれば、強く抵抗されることはなく、たやすく軍糧を奪い取れる。その結果、麹山の敵は、戦わずして敗れる。」その後、陳泰は軍糧奪取に成功。麹山の敵は追い込まれ、姜維の救援を当てにする。
・姜維が拠点を出て、麹山に向かう。陳泰は郭淮に対し、姜維の退路を断つよう頼む。自身は姜維の前方に向かう。姜維は不利を察して撤退し、麹山の敵は全員降伏する。

・郭淮死後、その後任として、都督雍涼諸軍事となる。




対姜維2
・姜維が進軍を始める。陳泰は、姜維の今後の行動を予測し、王経(雍州刺史)に言う。「狄(てき)道城を堅守せよ。我もあとで向かう。」王経は、狄道城に向かう途中、敵軍に敗れて転進する。その後、姜維の本軍にも敗れ、狄道城に追い込まれる。(結果的に、当初の予定の場所に駐屯。しかし、城を守る兵力は、既に不足。)

・その後、鄧艾(魏の将)は、様子を見るべきと言う。しかし、陳泰はこう主張。「姜維は初め、軽装の兵で意気揚々と進軍してきた。我が方は防備をしっかり固め、敵の鋭気を挫くべきだった。しかし、王経は交戦してしまった。もし、姜維がそのあと周辺の地を固め、じっくり攻略してきたら、我が方は不利に立たされていた。ところが、姜維は真っ直ぐ狄道まで急行した。当然、攻城の準備は十分なく、意気もそろそろ尽きてくる。」その後、姜維の包囲軍に向かう。

・姜維は山に伏兵を置き、魏の援軍に備える。陳泰はそれを見抜き、あえて南道(山に通じる)に兵を送る。(引っかかる振りをさせる。)本軍は秘かに別の道を進み、反対側に到着する。姜維と交戦し、撤退させる。(以上は、「三国志演義」には描かれない活躍。演義では、姜維は鄧艾の活躍によって撤退。)


・あるとき、情報の大切さを考える。「一つの地域で事件が起こったとき、ただデマだけで天下が揺れ動く。」かくて、正確な情報を素早く伝達させるために、駅伝の設置を提案する。司馬昭はこれを称賛。(どれだけ実施されたかは不明。)




朝廷に入る
尚書台の右僕射(うぼくや)となる。朝廷の人事を担当。(後に左僕射に転じる。)同時に、侍中、光禄大夫に任じられる。(いずれも帝の補佐役。前者は政治顧問、後者は相談相手。)

・呉の孫峻が軍を動かし、魏領に接近する。陳泰は、都督淮北諸軍事となる。徐州の諸監軍(軍の監督者)を統率し、孫峻を撃退する。
・諸葛誕が揚州で反乱し、司馬昭がこれを討伐する。陳泰は司馬昭に随行し、陣中で尚書台の事務を行う。諸葛誕は敗北。


・司馬師、司馬昭両方と交流あり。
・あるとき、司馬昭が武陔(ぶがい)に言う。「陳泰を陳羣と比べてみてくれ。」武陔は言う。「例えば、道理に通じ、優雅、博学、伸びやかで、天下の教化に尽力した点では、(陳泰は陳羣に)及びません。しかし、明快さ、統括力、簡略さをもって功業をなす点では、(陳泰は陳羣より)優れています。」




曹髦挙兵
・帝の曹髦(そうぼう)が、司馬昭の専横を嫌い、討伐の兵を起こす。司馬昭は賈充(かじゅう)を遣わし、対処させる。賈充は部下に命じ、曹髦を殺害させる。陳泰の本伝には、陳泰のこの事件への態度は記されない。
・以下、「晋紀」の記事。曹髦死後、司馬昭が朝臣を集めたが、陳泰は一人だけ出席しない。その後、舅の荀顗(じゅんぎ)が司馬昭の意を受け、陳泰を呼びに行く。陳泰は言う。「世間は私と貴方を比べますが、今の貴方は私に及びません。」しかし、他の者達も陳泰を急かす。陳泰は仕方なく、涙を流しながら参内。司馬昭は陳泰に言う。「私に何を望む?」陳泰「賈充を殺してください。」司馬昭「他の手立てを考えてくれ。」陳泰「私は他に言葉を持ちません。他の手立てなどありません。」


・死去してのち、司空(三公の一つ)の位を追贈される。
・陳泰の伝記は、陳羣伝に付属する形で存在。
陳寿は陳泰を評して言う。「広く世を救い、(その方法は)至って簡略であった。(無駄がなかった。)よく父(陳羣)の志を受け継いだ。」




郭淮 張既 姜維


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