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ショカツカク ゲンソン
諸葛恪 元遜
  
~才走ったエリート~

 呉の政治家、軍人。後期の呉で実権を握る。政治を改革する一方、魏軍を迎撃して大勝し、国を一時的に再興させる。後に人心を無視し、魏征伐を強行したが、結局敗れる。帰還後、味方に謀殺される。



初期
・呉臣諸葛瑾の子。早熟にして才気煥発。長身で声が高く、髭と眉は薄い。
・太子孫登の側に仕え、教育係も務める。
・臨機応変の受け答えを得意とし、論戦で彼に勝てる者はおらず。(常に活発に物事を考える人物。但し、沈思黙考タイプではない。)

・孫権により、軍糧の監督を任される。しかし、文書処理の煩雑さを嫌い、内心喜ばない。
・その後、蜀の諸葛亮(諸葛恪の叔父)が、陸遜(呉の重臣)に手紙を送る。(呉と蜀は、当時同盟関係。)「恪はいい加減な性格です。そんな大事な仕事を任せてはいけません。」かくて、陸遜は孫権に忠告。孫権は諸葛恪の役目を変え、軍の指揮官とする。




丹陽平定
・丹陽の山越を平定する計画を立てる。(山越とは、山地の異民族の総称。)孫権の同意を得て、丹陽太守に任じられる。多くの人々は、失敗を予測。

・計画を実行に移す。まず、民を全て屯田地に移し、軍に防備させる。結果、山越は略奪ができなくなる。また、山越の居住区の付近に、周到に軍営を設置。一帯で農作物が実ると、直ちに収穫させ、全て軍営内に取り込む。これにより、山越は食糧が不足して困窮。(諸葛恪はかつて、諸葛亮から「適当な性格」と評されたが、功名心のためには緻密さを発揮。)

・一方、布告して言う。「帰順した山越を拘束してはならない。直ちに移住先を決めて慰撫せよ。」やがて、山越の指導者の一人が帰順。担当の役人はこれを捕らえ、諸葛恪の元に送る。諸葛恪はその役人を誅殺する。以後、山越は次々帰順してくる。

・孫権は諸葛恪の成功を見て、大いに喜ぶ。諸葛恪は、威北将軍に任じられ、侯にも封じられる。


・願い出て、廬江郡の皖(かん)口に駐屯。この地で屯田を行う。
・あるとき、軽装の兵を出し、舒(じょ)県を奇襲。住民を奪略する。(舒県は廬江郡に属し、魏の支配下。皖口の北東に位置。)




国を再興させる
・孫権はかつて、長子の孫登を太子に指名。しかし、孫登が死去し、孫覇・孫和の間で跡目争いが始まる。宮廷が二つに分裂し(二宮事件)、諸葛恪もこれに絡む。
・二宮事件の中で、諸葛恪は子の綽(しゃく)と対立し、毒殺したという。(当時の呉の宮廷は、泥沼の状況にあった。)

・当時、陸遜が武昌県にあって、荊州の諸事を統括。やがて、陸遜は死去する。諸葛恪は、大将軍に任じられ、武昌県に駐在する。


・孫権は孫亮を跡継ぎとし、宮廷の騒乱は収拾。その後、孫権は病床に伏す。諸葛恪は、孫権から都に呼ばれ、政治を一任される。
・宮中の作法、種々の法令を整備し、簡略にする。朝廷の内外、共に雰囲気が一新され、大いに人心を得る。(当時の呉では、煩雑な形式が重んじられていたが、諸葛恪はその閉塞感を取り払った。)

・孫権が死去し、孫亮が跡を継ぐ。諸葛恪は、王朝の実権を掌握する。その後、孫弘という人物が、諸葛恪の排除を試みる。諸葛恪は孫峻と結託し、孫弘を誅殺する。
・未納の税を帳消しにする。また、関税を撤廃し、商業を活性化させる。更に、官吏を監察する制度をなくす。官民から、大変人気を得たという。


・東興(とうこう)に堤防を作り、周囲の山地に城を二つ築く。
・魏の諸葛誕らが、東興に進軍する。諸葛恪は大軍を統率し、これを迎撃。まず、二城に援軍を派遣し、更に丁奉を先鋒とする。諸葛恪は、大勝を得る。(丁奉の活躍のおかげもあるが、事前の軍備が的確だったのだろう。)




強引な外征
・人々の反対を押し切り、魏に出兵する。(元来、人心を重んじるタイプではない。かつて行った諸政策も、恐らく、人気取りのためという面あり。)
・合肥(がっぴ)新城を攻撃し、陥落寸前まで追い込む。(やはり軍才は非凡。)

・敵将の張特が告げる。「今から、降伏のための準備を整える。しばらく攻撃を中止してくれ。」諸葛恪はこれを聞き、攻撃の手を休める。張特はその間に、防備を固める。(諸葛恪は、才気は抜群だったが、どこか隙があった。)その後、諸葛恪は改めて城を攻めたが、勝利は得られず。

・陣中で疫病が流行る。部下の一人が実情を述べたが、諸葛恪は「でたらめ言うな」と言い、処刑しようとする。以後、諫める者がいなくなる。結局、大きな損害を出し、撤退を余儀なくされる。人々は諸葛恪を恨む。
・孫峻は諸葛恪を見離し、謀殺を画策。宴の席で、自ら殺害する。


陳寿は諸葛恪を評して言う。「有能で人望もあったが、驕慢で狭量だった。その短所が長所を台無しにした。己を誇って他人を踏み付けた以上、身を滅ぼしたのは必然である。」




諸葛瑾 陸遜 陸抗


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