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カユウ
華雄
  
~董卓軍の有力な武将~

 董卓の将。胡軫の配下に置かれ、孫堅軍と対する。しかし、味方の内紛が原因で、討死する。



・董卓の配下。胡軫(こしん)の軍の都督。

・「三国志集解」によれば、名前は「葉雄(しょうゆう)」、官職は「都尉」が正しいという。
・その理由。「廣韻(こういん)」という書物の中で、「三国志」の孫堅伝が引用されており、そこでは「都尉葉雄」となっているとのこと。(「廣韻」は、現存する正史本より古い。)
・実際は、「廣韻」が誤記した可能性も高いとされる。

・董卓軍の「都督」は将軍の下に置かれ、一つの軍営を監督する。(三国時代の都督とは異なる。)一方、「都尉」は郡の軍兵を司る役職、もしくは将軍に属する部隊長。(前者は地方官、後者は中央官。)


・胡軫は陽人城に進軍し、孫堅を討伐。華雄もこれに従う。また、呂布が胡軫の指揮下に置かれている。(胡軫は恐らく、董卓軍の大幹部。)
・呂布が、胡軫の振舞いに反感を持ち、流言を流す。結果、胡軫の軍は敗れ、華雄は討死する。孫堅の軍は華雄の首を晒し、意気を上げる。(敗因は、上官の人望のなさと、味方の将の所行。)




顔良 文醜 紀霊


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