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リョガイ キヘイ
蜀の官僚。永昌郡の功曹。雍闓(ようがい)が反乱した際、これに加わらず、攻撃を防ぎ切る。その後、雲南太守に任じられたが、異民族に殺害される。
・益州の永昌郡出身。呂不韋(秦の丞相)の子孫。郡で、五官掾功曹となる。(功曹は広く人事に関わる。実質、補佐官の筆頭。)
・劉備死後、南方で雍闓(ようがい)が反乱する。(雍闓は建寧郡の豪族。)雍闓は、周辺の異民族を味方に付ける。(異民族は、蜀王朝の取り立てに反感。)この頃、永昌郡は太守が不在。(ちょうど交代の時期に当たり、新任者はまだ到着せず。)呂凱は、丞(次官)の王伉と協力し、官民を統率する。国境を閉鎖し、雍闓に備える。
・雍闓は何度も郡に檄文を送り、屈服させようとする。呂凱は、返書する。「蜀は盤石の態勢にあります。貴方には盛衰の道が分かっていません。今の貴方の状況は、野火が草原にあるのと同じ、また、河の氷の上を歩くのと同じ。火が消え、氷が解けたら、もう頼るものはありません。今からでも悔い改め、功名をなすことは可能です。」(呂凱のいる永昌郡は、益州の最南部にあり、遠方から状況を客観視できた。また、蜀王朝の統制が及んでおらず、その分反発もなかった。)雍闓は、呂凱のこの忠告に従わない。
・呂凱の威光、恩愛は、郡内に行き渡り、人々から信頼あり。呂凱は、雍闓の攻撃を防ぎ、城を守り通す。雍闓はその後、味方の高定と仲違いし、殺害される。
・諸葛亮は永昌に到着すると、帝に上奏する。「呂凱、王伉は絶縁の地にありまして、忠節を貫くこと十余年に及びます。雍闓、高定から圧力をかけられましたが、道義を守って相手にしませんでした。私は永昌の人情、風俗がこれほど誠実、正直だとは思いませんでした。」
・諸葛亮は、永昌郡の北西、越嶲(えつすい)郡の南西部などを合わせ、雲南郡を設置。呂凱は、雲南太守に任じられる。王伉は永昌太守に就任。
・少しのち、雲南郡で異民族が反乱する。呂凱は、彼等に殺害される。(蜀王朝と異民族の間には、常に相克があった。)
・陳寿は呂凱をこう評する。「節操を守って微動だにしなかった。」
・陳寿はまた、黄権、李恢(りかい)、呂凱、馬忠、王平、張嶷(ちょうぎょく)を一まとめにし、「各自の長所をもって時代に応えた」と称賛している。
諸葛亮 馬忠 張嶷 李恢
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リョガイ キヘイ
呂凱 季平
~南の辺境の名士~
蜀の官僚。永昌郡の功曹。雍闓(ようがい)が反乱した際、これに加わらず、攻撃を防ぎ切る。その後、雲南太守に任じられたが、異民族に殺害される。
・劉備死後、南方で雍闓(ようがい)が反乱する。(雍闓は建寧郡の豪族。)雍闓は、周辺の異民族を味方に付ける。(異民族は、蜀王朝の取り立てに反感。)この頃、永昌郡は太守が不在。(ちょうど交代の時期に当たり、新任者はまだ到着せず。)呂凱は、丞(次官)の王伉と協力し、官民を統率する。国境を閉鎖し、雍闓に備える。
・雍闓は何度も郡に檄文を送り、屈服させようとする。呂凱は、返書する。「蜀は盤石の態勢にあります。貴方には盛衰の道が分かっていません。今の貴方の状況は、野火が草原にあるのと同じ、また、河の氷の上を歩くのと同じ。火が消え、氷が解けたら、もう頼るものはありません。今からでも悔い改め、功名をなすことは可能です。」(呂凱のいる永昌郡は、益州の最南部にあり、遠方から状況を客観視できた。また、蜀王朝の統制が及んでおらず、その分反発もなかった。)雍闓は、呂凱のこの忠告に従わない。
・呂凱の威光、恩愛は、郡内に行き渡り、人々から信頼あり。呂凱は、雍闓の攻撃を防ぎ、城を守り通す。雍闓はその後、味方の高定と仲違いし、殺害される。
・諸葛亮は永昌に到着すると、帝に上奏する。「呂凱、王伉は絶縁の地にありまして、忠節を貫くこと十余年に及びます。雍闓、高定から圧力をかけられましたが、道義を守って相手にしませんでした。私は永昌の人情、風俗がこれほど誠実、正直だとは思いませんでした。」
・諸葛亮は、永昌郡の北西、越嶲(えつすい)郡の南西部などを合わせ、雲南郡を設置。呂凱は、雲南太守に任じられる。王伉は永昌太守に就任。
・少しのち、雲南郡で異民族が反乱する。呂凱は、彼等に殺害される。(蜀王朝と異民族の間には、常に相克があった。)
・陳寿は呂凱をこう評する。「節操を守って微動だにしなかった。」
・陳寿はまた、黄権、李恢(りかい)、呂凱、馬忠、王平、張嶷(ちょうぎょく)を一まとめにし、「各自の長所をもって時代に応えた」と称賛している。
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