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年表(250年~280年)

 西暦、元号、月、出来事。



250年(魏・嘉平二年/呉・赤烏十三年/蜀・延煕十三年)

十一月孫亮(孫和・孫覇の弟)が太子となる。(二宮事件の終結。)



251年(魏・嘉平三年/呉・太元元年/蜀・延煕十四年)


四月王凌(魏の臣)は、曹彪擁立を画策していたが、露見する。
五月司馬懿が王凌を自殺に追い込む。
七月司馬懿が死去し、子の司馬師が跡を継ぐ。



252年(魏・嘉平四年/呉・建興元年/蜀・延煕十五年)


一月司馬師が大将軍となり、侍中も兼ねる。
四月孫権が死去し、孫亮が跡を継ぐ。
十二月司馬師が呉征伐を行う。諸葛恪が迎撃し、東興で勝利する。



253年(魏・嘉平五年/呉・建興二年/蜀・延煕十六年)


一月費禕が魏の刺客(郭循)に殺害される。
春頃諸葛恪が魏征伐を強行する。
八月諸葛恪の軍は、疫病により敗退。
十月孫峻が自ら諸葛恪を殺害し、代わって実権を握る。



254年(魏・正元元年/呉・五鳳元年/蜀・延煕十七年)


二月李豊(魏の臣)が夏侯玄擁立を画策する。司馬師は彼等を殺害する。
九月司馬師が曹芳を廃し、曹髦(そうぼう)を擁立する。
冬頃姜維が隴西郡に進軍し、魏の徐質を破る。



255年(魏・正元二年/呉・五鳳二年/蜀・延煕十八年)


一月魏の毌丘倹・文欽が寿春で反乱し、司馬師がこれを討伐する。毌丘倹は討死し、文欽は呉に亡命する。
二月司馬昭が大将軍となる。
八月姜維が隴西郡に進軍し、魏の王経を破る。
九月孫峻が死去し、孫綝が実権を握る。



256年(魏・甘露元年/呉・太平元年/蜀・延煕十九年)


春頃姜維が大将軍となる。
七月姜維が魏に侵攻する。胡済と合流する手筈だったが、胡済が到着せず、姜維は段谷で鄧艾に敗れる。



257年(魏・甘露二年/呉・太平二年/蜀・延煕二十年)


一月魏の諸葛誕・文欽が寿春で反乱し、司馬昭がこれを討伐する。
四月孫亮が自ら政務を執り、孫綝に対抗する。
九月姜維が長城に進軍し、鄧艾・司馬望がこれを防ぐ。



258年(魏・甘露三年/呉・永安元年/蜀・景耀元年)


一月諸葛誕が文欽と仲間割れし、これを殺害する。
二月諸葛誕が討死する。姜維は撤退を決める。
九月孫綝が孫亮を廃し、孫休を立てる。
十二月孫休、丁奉が孫綝を謀殺する。



260年(魏・景元元年/呉・永安三年/蜀・景耀三年)


一月曹髦が司馬昭打倒を考え、兵を挙げる。賈充が部下に命じ、曹髦を殺害させる。代わって曹奐(そうかん)が即位。



262年(魏・景元三年/呉・永安五年/蜀・景耀五年)


八月鄧艾が侯和で姜維を破る。



263年(魏・景元四年/呉・永安六年/蜀・炎興元年)


八月司馬昭が蜀征伐を開始する。鄧艾が沓中で姜維を破る。
九月鍾会が蜀各地を平定し、剣閣まで到達する。姜維は剣閣を堅守し、鍾会は撤退を考える。
十月司馬昭が晋公となり、十郡を支配。
十一月鄧艾が成都を急襲し、蜀帝劉禅は降伏する。



264年(魏・咸熙元年/呉・元興元年)


一月姜維、鄧艾、鍾会が混乱の中で殺害される。
三月司馬昭が晋王となり、計二十の郡を支配。
七月孫休が死去し、孫皓が跡を継ぐ。



265年(晋・泰始元年/呉・甘露元年)


八月司馬昭が死去し、司馬炎が跡を継ぐ。
十二月司馬炎が晋王朝を開く(魏王朝の後継)。



269年(晋・泰始五年/呉・建衡元年)


春頃晋の羊祜(ようこ)が襄陽に赴任する。以後、襄陽は豊かになり、軍備も整う。



270年(晋・泰始六年/呉・建衡二年)


四月呉の陸抗が楽郷に赴任し、羊祜と徳を競う。(「羊陸之交」。)



272年(晋・泰始八年/呉・鳳皇元年)


九月呉の歩闡(ほせん)が西陵で反乱する。
十二月陸抗が西陵を落とし、歩闡を殺害する。



273年(晋・泰始九年/呉・鳳皇二年)


三月陸抗が大司馬・荊州牧となる。
夏頃陸抗が上表し、防備強化を提言する。



274年(晋・泰始十年/呉・鳳皇三年)


七月陸抗が死去し、呉は人材不足となる。
九月晋で陳騫(ちんけん)が太尉となる。



276年(晋・咸寧二年/呉・天璽元年)


八月晋で陳騫が大司馬となる。
十月羊祜が司馬炎に呉征伐を提言。



278年(晋・咸寧四年/呉・天紀二年)


十二月羊祜が死去する。杜預が後継者となり、荊州で軍備を強化。



279年(晋・咸寧五年/呉・天紀三年)


十二月司馬炎が呉征伐を開始し、杜預、王濬(おうしゅん)らが進軍する。



280年(晋・太康元年/呉・天紀四年)


三月呉帝孫皓が降伏し、三国統一が成る。





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