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蜀3


南中政策
 南中(益州南部)は高原地帯で、様々な異民族が居住。
 鉄・銅、塩、絹の産地でもあり、財政上の要地だった。
 小説「三国志演義」では、ジャングルのように描かれているが、事実はちょっと違う。

 蜀王朝には、庲降(らいこう)都督という独特の官あり。南中の数郡を管轄し、軍政に当たる。
 庲降とは、降伏者を歓迎するという意。南中には、蜂起勢力が散在していた。

 なお、初代の庲降都督は鄧方。その後、李恢→張翼→馬忠、と続く。馬忠以後も、何人か在任。




三人の良臣
 小説「三国志演義」では、張翼・張嶷・馬忠は似た扱い。いずれも、南征や北伐で、同じように活躍する。

 正史では、三者三様。例えば、張翼・馬忠は教養人で、政務能力が高い。張嶷は、応変な行動に長け、武才も非凡だった。
 また、張翼は実直、馬忠は鷹揚、張嶷は果断。


 三者とも、正史では、地方長官としての実績が多い。
 馬忠・張嶷は、南方に赴任し、異民族を抜かりなく統治。張翼は、州の中心部で活躍した。
 張翼は、南方を治めた際は、劉冑(異民族)に反乱されている。(その後、張翼は軍糧を万全にし、馬忠・張嶷が鎮圧。) 

 また、張翼は姜維の時代、北伐に尽力。廖化と並び、蜀内で評判を得た。
 張嶷も姜維の時代、北伐に加わり、徐質の軍と対戦。奮戦して討死し、蜀軍は勝利する。




南中の反乱
 小国の蜀は、軍備を強化する必要があり、南中(益州南部)は搾取の対象。
 劉禅が即位したあと、南中で反乱が起きる。
 南中の豪族・異民族は、劉備死去の隙を狙い、一気に行動を起こした。


 この反乱に関わる流れは、やや複雑。
 まとめると、以下のようになる。

 雍闓(ようがい)が建寧郡で反乱
→高定(越巂(えつすい)郡)、朱褒(牂牁郡)が呼応
→呉の孫権が雍闓らと通じる
→蜀と呉が同盟し、孫権は手を引く
→雍闓が内紛で殺害され、代わりに孟獲が擁立される
→諸葛亮、李恢らが南征し、反乱を鎮圧

 雍闓は、建寧郡の豪族。(建寧郡は、当時「益州郡」という名称。ここでは、新しい方の名称を使用。)
 高定は越巂(えつすい)郡の部族長。朱褒は牂牁郡の丞で、太守を自称。また、孟獲は、元は雍闓の配下。
 また、反乱発生は223年、鎮圧は225年。呉との同盟は224年。

 益州の地図(郡地図&県地図)




孟獲の実像
 孟獲は、タイ系、漢人の混血とされる。
 雍闓と朱褒は漢人。高定はタイ系。

 小説「三国志演義」では、孟獲は終始、蛮王として描かれる。雍闓とは、同盟関係という扱い。
 正史の孟獲は、雍闓の元にあって、扇動を担当していた。政略に長けていたと思われる。

 なお、孟獲は雍闓に代わってトップに立つが、雍闓殺害に関わったという記述はない。雍闓が殺害されたのは、高定とのトラブルによるとされる。


 孟獲は蜀に帰服後、しばしば功あり。御史中丞まで昇進している。(「華陽国志」)
 御史中丞は朝廷の要職で、上奏文の監査を行う。




異民族の不満
 諸葛亮が南中を平定したのは225年。北伐開始は227年。
 産物が豊富な南中は、軍費の捻出のため、集中的に徴用が行われたと思われる。

 襄陽記には、「諸葛亮は孟獲を慰撫し、以後南方で二度と反乱なし」とある。
 実際は、雲南郡などで反乱再発。その後も、劉冑(異民族)が反乱を起こしている。(いずれも、諸葛亮存命中。)
 「二度と反乱なし」というのは、諸葛亮が直接関わった地では、ということかも知れない。諸葛亮は、現地人に一定の自治を認め、人心を得たという。実際、孟獲の主導の元、一帯はよく治まったとされる。


 何にしても、反乱鎮圧後、南中はすっかり恭順した訳ではない。南中は、蜀王朝にとって、基本的に搾取対象。ある程度の不満は、常に存在したと思われる。




越巂郡
 越巂(えつすい)郡は、益州の南西部。郡の西は、異民族の支配地と隣接する。
 郡内にも、異民族が多く居住。形式上、蜀帝国の民だが、独自の勢力を有する。

 以前にも、高定が反乱し、李厳が鎮圧している(218年)。当時の越巂太守は不明。馬謖が在任していたことがあるが、具体的な時期は記されない。
 223年、雍闓が建寧郡で反乱すると、高定はこれに便乗した。

 225年、諸葛亮は南征を開始。李恢に建寧郡を平定させ、自身は越巂郡に進む。
 諸葛亮は、南征の計画を、馬謖(元・越巂太守)と共に練った。越巂の地理に関しても、知見を借りたと思われる。
 やがて、諸葛亮は反乱軍に勝利し、高定を殺害する。牂牁郡もほどなく帰順。


 越巂郡は、その後も安定しない。諸部族は依然、一定の勢威を持つ。郡庁は本来、郡中央の邛都(きょうと)県にあったが、太守は離れた地に赴任したという。

 240年、張嶷が越巂太守に就任。(諸葛亮は既に死去。)張嶷は、馬忠(庲降都督)共々、邛都県に乗り込む。一帯に威を示し、支配を確立した。
 馬忠が任地(建寧郡の味県)に戻ったあと、張嶷は改めて統治を開始。武断と懐柔を織り交ぜ、異民族は心服し、越巂はようやく安定する。




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