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呂布とその配下

 演義での活躍を要約します。


劉備  曹操  孫堅  袁紹  袁術
董卓  呂布  劉表  劉璋  その他


リョフ ホウセン
呂布 奉先
 元は丁原の部下。方天画戟の使い手。馬術、弓術も抜群。董卓に誘われ、丁原を殺害し、名馬赤兎馬を貰う。虎牢関において、反乱軍を迎撃。劉備、関羽、張飛を一度に相手にし、ようやく引き下がる。
 その後、董卓共々長安に去り、やがて董卓を殺害。流浪したのち、兗(えん)州で旗揚げし、曹操を苦戦させる。
 やがて、徐州に割拠。あるとき、劉備と紀霊(袁術の将)を仲裁。(その際、「我は争いを好まない」と言ってのける。)後に、曹操、劉備と攻防を繰り広げる。しかし、部下の裏切りにより、居城が陥落。曹操に殺害される。


※正史でも、基本的な人物像は同じ。騎兵の指揮に長け、自身の武芸も抜群だった。また、短慮な性格とされる。詳細


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チンキュウ コウダイ
陳宮 公台
 元は県の長官。あるとき、曹操が董卓暗殺に失敗し、領内に逃亡してくる。陳宮は、曹操と行動を共にしたが、人間性を疑い立ち去る。
 後に呂布の参謀となり、度々曹操を苦しめる。やがて、呂布は徐州を支配。陳宮は、袁術との連合を推奨する。(袁術は大勢力で、曹操に対抗できる。)
 その内に、曹操が来襲し、籠城戦になる。陳宮は呂布に出撃を勧め、「城内と呼応することで、曹操を翻弄する」策を進言。しかし、却下される。敗北後、降伏を拒否して刑死する。


※正史では、曹操が郡太守のとき、仕官して配下に入る。曹操が徐州を荒らしたとき、離反することを決め、呂布の参謀となる。(なお、曹操が董卓暗殺を試みたのもフィクション。)詳細


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コウジュン
高順
 呂布の軍の幹部。しばしば手足となって働く。曹操軍との戦いでは、夏侯惇と長時間渡り合う。劣勢になるも、味方(曹性)の援護を受ける。その後総攻撃をかけ、敵軍を撃破する。また、劉備討伐にも参加。呂布、張遼と共に三方から攻め、劉備の軍を撃破する。後に呂布共々、曹操に捕らえられる。押し黙って何も語らず、そのまま斬られる。


※正史では実直な名将。戦えば必ず敵陣を落とす、と言われた。演義でも活躍のシーンは多い。


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チョウリョウ ブンエン
張遼 文遠
曹操とその配下

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ゾウハ センコウ
臧覇 宣高
 主力級の武将。しばしば張遼とコンビになる。呂布と曹操の初対決時、張遼が夏侯惇と渡り合い、臧覇は楽進と渡り合う。後に呂布の命令を受け、泰山の山賊(孫観ら)と連合する。
 呂布が敗れると、山賊達と共に曹操に降り、徐州・青州の防衛を任される。赤壁の戦いの際は、徐庶と共に西方の守備に赴く。


※正史では、義侠集団を率い、徐州で割拠していた。一時呂布に協力したが、配下という形ではない。また、西方には行っておらず、対呉でしばしば活躍。詳細


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チンケイ カンユ
陳珪 漢瑜
 徐州の賢人。子の陳登共々、呂布の参謀を務める。両者とも、内心は劉備の味方。袁術が呂布との姻戚を考え、劉備を狙ったとき、陳珪は呂布に利害を説いて制止する。また、陳登共々策を練り、袁術の二将(韓暹(かんせん)と楊奉)を寝返らせる。
 その後、呂布に「韓暹らを山東に置くべき」と進言。退出後、陳登から、「彼等を本国に留め、呂布打倒に協力させるべきだったのでは?」と問われる。陳珪は、「彼等が呂布の手先になったら、それこそ厄介」と説明。


※正史では袁術の旧友。袁術を見限り、曹操に味方した。劉備との関わりは、特に記されない。


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チントウ ゲンリュウ
陳登 元龍
 陳珪の子。知謀の士。初め、陶謙の参謀。劉備に陶謙の跡を継がせるべく、しきりに尽力する。陶謙死後、劉備が後継者となると、その配下に入る。しかし、呂布が劉備を駆逐したため、呂布の配下に置かれる。
 常に、陳珪と共に画策。袁術配下の二将を説得し、離反させる。その後秘かに曹操と通じ、呂布・陳宮に虚報を流し、同士討ちさせる。
 呂布敗北後、徐州の長官の車冑(曹操配下)に従う。劉備の軍が来ると、車冑を欺き、劉備に勝たせる。


※正史では、地方長官として大活躍。また、早い内から曹操に帰服し、対呉でも活躍している。詳細


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