トップページ三国志総合事典(正史)人物事典-呉

カントウ ギコウ
韓当 義公
  
~孫家に尽くした歴戦の将~

 呉の将。孫堅の代から仕え、着実に戦功を重ねる。孫権の時代も長らく活躍し、都督に任じられる。



・幽州の遼西郡出身。孫堅の配下に入る。
・弓馬に秀で、膂力(りょりょく)も有する。それを見込まれ、将に取り立てられる。度々危険を冒し、敵軍を破る。
・孫堅の死後、孫策に従い転戦。度々戦功を挙げる。
楽安県の長となる。(楽安県は、揚州豫章郡。)山越は韓当を畏怖し、恭順する。(山越とは、山地の異民族の総称。)

・赤壁の戦い、南郡攻略に参加し、勝利に貢献する。偏将軍に任じられる。(偏将軍とは、将軍に次ぐ指揮官。)
・永昌太守に任じられる。(永昌郡は益州の最南部で、劉璋の領地。建前上の任命。)
・夷陵の戦いに参加し、活躍する。
・朱然に従い、江陵城(南郡)に駐屯する。曹真(魏将)の軍を防ぎ、城の一角を守り切る。(孫堅の代からの古参。活躍期間はかなり長い。)将軍位を与えられる。


・自ら全軍を統べることは少なく、主に部隊長として活躍したという。常に士卒と心を一つにし、上からの法令もよく遵守する。
・冠軍太守に任じられる。(冠軍郡は、孫権が独自に設置。南陽郡(曹操領)の冠軍県を「郡」とし、韓当を建前上の太守とした。)
都督に任じられる。一万の兵を統率。あるとき、丹陽郡の不服従民を討伐し、一帯を平定する。
陳寿は韓当ら12人の将をまとめて評する。「江表の虎臣。孫氏は彼等を用いたから、東南の地を制圧できた。」




程普 黄蓋 周泰


トップページ三国志総合事典(正史)人物事典-呉