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コウガイ コウフ
黄蓋 公覆
  
~古参の武臣~

 呉の将。孫氏三代に仕え、各地を転戦する。諸県の長官も任され、治安を司る。後には赤壁の戦いに参加し、偽の投降と火計を用い、曹操の船団を撃破する。



戦歴と治績
・荊州の零陵郡出身。名族の子孫。
・幼くして父を失くす。貧しい中でも志を持ち、周囲とは行動を異にする。薪を取る合間、上表文の書き方を学び、兵法の研究をする。
・郡の役人となる。その後、孝廉に推挙される。(孝廉とは、官僚の候補枠。)

・孫堅が旗揚げすると、その配下に入る。反乱者や董卓の討伐で活躍し、取り立てられる。
・孫策、孫権の時代、各地の平定に尽力する。自ら甲冑に身を包み、白刃の中を進み、城を屠(ほふ)る。


治安の悪い県があると、必ず長官に任じられる。
・石城県(丹陽郡)で、役人の不正が横行。(豪族と連なり、民から搾取。)その程度は、常軌を逸していたという。黄蓋は長官として着任すると、まず二人の役人を呼ぶ。「私は今まで、武功で貢献してきた。文徳で評価されたことはない。そしてまだ軍旅は続く。そこで、文事は汝らに任せる。今後不正を行えば、免官だけでは済まさぬ。」二人は初めは真面目に励んだが、後に不正を働く。黄蓋は彼等を誅殺する。
・後には、春穀県(丹陽郡)の長、尋陽県(廬江郡)の令を務める。(「長」と「令」は基本的に同じで、人口が多い県の長官は「令」と呼称。石城県に関しては、どちらか不明。)
・合計、9つの県で長官を務めたが、いずれの地もよく治まったという。

丹陽郡の都尉となる。(都尉とは軍事長官。)豪族達を抑え、民を保護し、山越(山地の異民族の総称)からも慕われる。




赤壁戦・武陵赴任
・孫権が周瑜を司令官とし、赤壁で曹操と対峙させる。黄蓋はこれに参加し、曹操に偽りの投降をする。敵の船団に接近すると、一気に火をかけ、これにより呉軍は勝利する。(「三国志演義」では、「苦肉の策」を用いているが、これはフィクション。しかし、史実でも大功を挙げている。)

武陵郡(荊州)の太守となる。(当時の荊州には、孫権、劉備、曹操がそれぞれ進出。劉備陣営は、関羽が荊州担当。)
・あるとき、異民族の一団が城に来攻。黄蓋の手元には、五百の兵がいるのみ。そこで、敵軍を半分まで城に入れ、奇襲して撃破する。
・春から夏にかけ、郡内の反乱を全て平定する。隣の長沙郡で反乱が起こると、これも平定する。以後、一帯の異民族は全て恭順。


・風貌に威厳あり。また、兵の面倒をよく見る。
・決断力があり、常に迅速に事を処理する。その死後、多くの人々が惜しむ。黄蓋の肖像画を描き、季節ごとに祀ったという。
陳寿は黄蓋ら12人の将をまとめて評する。「江表の虎臣。孫氏は彼等を用いたから、東南の地を制圧できた。」




程普 韓当 周泰


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