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派閥抗争 ~騒乱期~

 朝廷に諸派閥が出現。漢王朝は揺らぎます。 



新たな問題
 当時の朝廷は、「内朝」と「外朝」に分裂していた。前者は皇帝の内部組織、後者は国の行政組織。
 内朝は文書・人事を司り、自ずと国政全般に関わる。その権限は次第に増え、外朝と対立した。


 昭帝(第八代皇帝)の時代、外戚の霍光(かくこう)が力を持つ。(霍去病の異母弟。)この霍光は、大司馬・大将軍の地位にあり、同時に尚書を統括した。(尚書は帝の秘書機関で、内朝の中心。)
 一方、財務官僚の桑弘羊(そうこうよう)は、大司農に在官。(大司農は外朝に属する。)桑弘羊は、武帝の時代から活躍し、宣帝の時代も一線にいた。




塩鉄会議
 紀元前81年、「塩鉄会議」が開かれる。当時、政府は商業を重視。塩や鉄の専売を行い、桑弘羊がそれを担当した。
 会議の際、儒家官僚たちは、桑弘羊と対する。彼等の主張は、「国家が(専売をもって)商業に参入し、民間と利を争うのはよくない」というもの。そして、農業重視、民力の回復を唱えた。(桑弘羊の方針は、基本的に富国強兵。)

 儒家官僚は、その多くが、地方豪族の出身。また、国の専売策は、豪族の経済活動と衝突。つまり、実は利権も絡んでいた。
 また、彼等には、霍光(内朝のトップ)の後押しがあったとされる。(霍光自身は、会議に不参加。)霍光にとって、桑弘羊は敵であり、儒家官僚は敵の敵に当たる。

 会議に参加した儒家官僚は、次々と主張を展開。その内容は、国政から対外政策まで、多岐に渡ったという。(恐らく、利権のためだけでなく、政治信念も持っていた。)その結果、会議の雰囲気は、儒家官僚側に傾く。
 しかし、財政は現に厳しい。そして、専売は一番確かな策。会議の結論は、「現状維持」となる。
 この塩鉄会議は、当時の朝廷の版図を知る上で、重要な出来事。前漢の儒家官僚の実態も分かる。(参考資料:西嶋定生「秦漢帝国」)


 この会議以後も、紛糾は続く。しかし、霍光は実力者、人格者。何とか朝廷をまとめ、国政に尽くした。
 霍光の死後、宣帝が自ら為政する。




宣帝の時代
 宣帝(第十代皇帝)は、紀元前74年に即位。基本的に、現実主義者。苦難の幼少時代を送り、成長後は遊侠活動に入り、波乱の末即位した。

 宣帝はまず、法治を徹底し、豪族を抑制する。また、減税を実行し、福祉にも力を入れる。更に、塩(国が専売)の価格を引き下げた。
 また、宣帝の意の元、郡太守が善政する。彼等は共同体を整備し、絶えず民の生活に気を配る。勧農の方針を取り、郡によっては養蚕(ようさん)、養鶏(ようけい)などを行った。
 次第に、貧困層は苦境を脱し、財政も不足せず。

 宣帝は他に、官制の改革を行い、朝政の態勢を整える。具体的には、中書という省庁を強化し、上奏文を監督させる。これにより、尚書の権限を抑制した。
 但し、この改革には、弊害も存在したという。宦官(かんがん)がこの中書を利用し、徐々に台頭。(宣帝の時代は、大きな権力を得ることなし。)

 また、宣帝は、対外関係にも余念はない。匈奴を内部分裂させ、機を見て征伐を実行する。大きな戦果を挙げたという。




元帝の時代
 元帝(第十一代皇帝)は、宣帝の子。紀元前48年に即位。儒家思想に傾倒し、偏重した。
 元帝はかつて、宣帝から「建前と現実の違いを認識せよ」と注意されたことがある。

 元帝は即位すると、儒教の精神に則し、減税、節倹、刑罰の軽減を行う。特に成果は記されないが、善政を心掛けていたことが分かる。
 また、農業社会への回帰を目指し、商業活動の制限を試みる。これは、上手くいかず。また、官が商業に関わるべきでないとし、専売を廃止する。これは財政の悪化を招き、結局、復活させざるを得なかった。(但し、大きな混乱は記されない。)

 元帝の一番の失敗は、宦官の台頭を招いたこと。つまり、朝政のミス。宣帝は隙を見せなかったが、元帝は付け込まれる。
 元帝は仁徳はあったが、政治手腕は高くはなかった。儒家を偏重したが、大きな治績はなく、むしろ無駄が多かった。その結果、儒家の権威は弱まり、宦官とのパワーバランスが崩壊。常に理想を追っていた元帝は、こういうところに気が回らず。




成帝・哀帝の時代
 成帝(第十二皇帝)は、元帝の子。紀元前33年に即位。
 この時代は、外戚が台頭。成帝は学問に励んでいたが、外戚を御することができず、次第に屈折したという。

 成帝の死後、甥の哀帝が即位する。(紀元前7年。)
 この頃、豪族が再び伸長。貧富の差は広がり、一般の農民は圧迫される。哀帝はこの事態に対し、土地所有の公平化を試みたが、成功はしなかった。


 前漢の皇帝は、基本的に、意欲的な人物が多い。しかし、大きな成果を挙げたのは、その一部のみ。(高祖の他、文帝・景帝、武帝、そして宣帝。)漢人世界の政治の難しさを物語る。




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