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何故、荀彧は魏公就任に反対したのか?


事件のまとめ
 荀彧は長らく、曹操の参謀として活躍。曹操が最も頼りにしていた人物、と言っても過言ではない。曹操は荀彧の助力の元、有効な戦略を定め、華北を一通り制圧した。

 その後曹操は、魏国の設立、魏公就任を考える。(魏国とは、漢王朝の藩国。)
 後漢において、藩国の王・公となるのは、通常は皇帝の一族。曹操はこれに当てはまらない。荀彧は魏公就任に反対し、「臣下の分を超える」と主張した。

 荀彧は儒家の名士で、漢王朝(儒教国家)の再興を望む気持ちがある。しかし、曹操が藩国で体制を固めれば、漢に取って代わる準備が整う。(曹操は恐らく、新王朝の設立を視野に入れていた。)


 実際は、荀彧が漢の存続にどれだけこだわっていたか、定かではない。荀彧は儒家であると同時に、現実的な政治家でもある。魏公反対の真意は別にあった、という見方が存在する。
 通説の一つ。「荀彧の漢への忠義は、偽善的なものに過ぎず、単に曹操の失敗を案じて反対した。」(つまり、藩国設立は時期尚早と判断。)
 また、こういう言説もある。「荀彧は、曹操がしていること(漢王朝の私物化)を知りながら、ずっとそれを手助けしてきた。今更、漢への忠義を述べるのはおかしい。」




曹操を選んだ理由
 では、荀彧が曹操に仕えた理由は、そもそも何だったのか。
 当然、「成功の見込みのある主君を選んだ」とか、「新興勢力に仕えた方が重用される」といったことが考えられる。それらは、モチベーションの一部として存在しただろう。
 しかし、人は本来、即物的欲求だけで動く訳ではない。特に、儒学の素養を持つ荀彧は、何か特別な理想を持っていたと思われる。
 それを知るには、当時の社会構造を考える必要がある。


 後漢の後期、地方において、豪族の私権が増大。
 後漢の豪族には、儒家を標榜する家系と、世俗的な家系がある。前者は郷挙里選で優遇され、官界での立場を確立。後者はしばしば貪欲で、宦官や外戚と結託し、官界、地元で権勢を振るった。
 また、儒家系の豪族も、必ずしも清廉潔白とは限らない。表面のみ取り繕い、実際は貪欲というケースがあった。

 時代の混迷の一因は、豪族の私権構造にあり。やがて、儒家の中から、根本的改革を考える者が出てくる。荀彧は、その代表格の一人。彼等は、既存の権力構造が、一度解体されることを望む。そして、曹操にその期待をかけ、持ち前の人脈網をもって助力した。(これらは定説。)
 彼等は現実主義で、法の力もある程度重んじる。豪族をしっかり抑制した上で、新たに儒教体制を築くという算段。(なお、彼等自身、大半が豪族の出身だが、何より名声を拠り所とした。いわゆる名士層。)




一致と不一致
 荀彧にとって、儒家の名士であることは、重要なアイデンティティ。(儒家勢力の期待も背負っている。)また、儒教的世界観を追求し、それを現前させることは、儒家にとって宗教的信念でもある。

 曹操は基本的に、儒家思想を排そうとはしていない。自身読書を好み、儒学の素養を十分持っている。しかし、志向する政治形態は、法治を基本とした。理念は恐らく、法の元での自由。(法以外の決まり事から、人々を解放。)
 一方、儒教政治は、人々が倫理を共有することを前提とする。それを元とし、農村から国家に至るまで、統一的世界が作られることを想定する。


 荀彧が魏公就任に反対したのは、やはり、儒家としての信条・立場から来ると思われる。つまり、曹操が独自の秩序を作り、名士層(儒家勢力)がないがしろにされるのを案じた。(漢の存続自体には、こだわっていたかどうか分からない。)
 曹操と荀彧は、途中まで、政治方針が一致。両者とも、「法により、豪族の私権を抑制する」という考えを持つ。しかし、荀彧ら儒家名士は、その後の新体制も見据えていた。つまり、儒教的秩序の再構築を志向。
 荀彧はいずれ、曹操と何らかの折り合いを付けるつもりだったが、その前に亀裂が広がってしまった。魏公就任反対により、荀彧は曹操に疎まれ、以後関係を修復できず。


 荀彧の死後、曹操は魏国設立を断行し、魏公となる。体制を整えつつ、法治の徹底に努める。
 しばらくのち、曹操は死去し、子の曹丕が跡を継ぐ。曹丕は魏国の体制を元とし、魏王朝を開いた。(漢王朝は滅亡。)
 魏王朝では、当然、法治が重んじられる。一方では、陳羣(ちんぐん)ら儒家官僚が、政権の中枢を占める。曹操の死後、儒家勢力が巻き返した形。
 魏王朝の政治は、儒家と法家、双方の精神を汲んでいる。




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